March 14, 2006

閉会のご挨拶、そして、私たちの活動の軌跡

はじめに 
 カレンダーがめくられ、3月、平成17年度が終わろうとしています。
私たち区立幼稚園の存続を願う父母の会(以下存続の会)は、誰にでも開かれた幼稚園、健常な子も障がいをもつ子もあたりまえに育ちあえるノーマライゼーションを実現している幼稚園、遊びという実体験の中での育ちという方針を守り続けている幼稚園、より良い幼児教育を伝承し、研修を積んだ先生方の援助のもと、ひとりひとりの子どもが自立へのハードルとして挫折を乗り越えたくましく育っている幼稚園、早期教育にも特定の宗教にかたよらず、知、心、体の調和のとれた教育を繰り広げている幼稚園、地域との関わりを大切にする幼稚園、この区立幼稚園を区民の財産と考え、その存続と充実を求め、またこの保育内容をこそ幼稚園教育のモデルとして区に率先して発展させていただきたいとお願いしてまいりました。
昨年の9月、存続の会通信7号をお届けしてから数ヶ月がたちました。当時、存続の会では、協議機関の設置を訴えるべく再度の陳情を考えていました。また、その実現に向け全会派の議員折衝、世幼P連への働きかけ、マスコミへのアプローチ等をおこなってきましたが、このたび、諸般の事情により陳情書の提出を断念、そして、存続の会の解散やむなしの状況となりました。
区立旭幼稚園、羽根木幼稚園での18年度募集の再開はならず、この4月からの年長のみの単学級での1年間をもって両園は区立幼稚園の歴史を終えようとしています。現在でもプロポーザルによる民間業者の選定もいまだされていない状態で、計画自体は決して当初の予定通りというわけでは無いように思われますが、2園の廃園および、かなり保育園ににかよった民間施設の開設という結論だけが動かしがたいものとしてそこにあるように思われます。
最後まで、旭、羽根木幼稚園での募集を待っていた方々、障がいを持ったお子さん方もいらっしゃいました。遠く他の区立園を頼った方、また、やむなく近隣私立園に入園を決められた方、また、どうしても近隣の他園を子どもの入園先として選べずに仕方なく自主保育での道を選んだ方もいらっしゃいます。この時期に我が子の入園時期をむかえられていた方々にとって、その選択はかなり苦しいものであったと察し、会として2園の存続に力およばなかったことを本当に悲しく思います。
今回の通信ではその経緯をお伝えし、ご理解いただくと同時に、平成15年8月の発足以来2年半、活動に協力くださったみなさまそして、保護者のみなさまにお礼申し上げたいと思います。

おねがい 
 存続の会の活動の様子を伝えるうえで、この活動自体が行政のやり方に異を唱えるものであった性質上、決して全てが耳触りの良いものではないかもしれませんが、第2、第3の旭、羽根木を作らないためにも、みなさんにこの経過を知っていただき、関係する方々の脳裏に少しでも残り、それぞれの心の中に残る課題としてこの問題を今後も考え続けていっていただきたいと願っています。

下馬幼稚園を守る会の活動が残した課題   
 閉会にあたり、あえて世田谷区立下馬幼稚園の存続活動について少し触れさせて頂きます。
下馬幼稚園の廃園問題を深く知っている方は在園のみなさんの中では少ないのではないでしょうか。今から10年程前に下馬幼稚園の廃園問題がありました。下馬幼稚園を守る会の活動報告書をみると、平成8年に下馬幼稚園へ教育委員会学務課から「平成10年度の園児募集中止及び区立旭幼稚園との統廃合」の突然の通達がありました。下馬幼稚園を守る会の活動報告をみると、当時充足率も9割前後と高く、統廃合などは予想もしていない状況、現在ある需要を断ち切ってまでの非民主的で一方的な募集中止通達に納得できず「守る会」を発足したと書いてあります。
 活動報告を読むうちに、当時活動に携わった方々の気持ちと私たちの気持ちがぴったり重なっていること、また、当時残された課題が残念ながら今回も乗り越えられずに残ってしまったことを再認識しました。そして、10年前の下馬、また今回の、旭、羽根木の存続活動での経験、課題は残る9園の将来のためにも伝えていくべきだと感じました。私たちの活動内容をお伝えする前に以下に前置きとして、下馬幼稚園存続活動での 問題意識、区議会への課題、そして、世幼P連としての課題を紹介させていただきます。
私たちの活動の原動力が延べ9万もの賛同の署名であったこと、そのような保護者の熱い気持ちこそが行政や、議会に対するある程度の抑止力になったこと、そして、それをどう維持し展開していけばよいかという問題は未来に残された大きな課題だと考えます。みなさんにできる限りの真実をお伝えし、その端々が誰かの心の中に置き火となって残り、区立幼稚園の存続の一助になればと願っています。

「下馬幼稚園を守る会」平成11年 活動報告より抜粋 
※ 問題意識
 行政側の、園児、保護者、これから入園を希望する子ども達といった当事者を無視したやり方を通したならば、下馬幼稚園に限らず他の区立幼稚園にも統廃合の嵐は必ず波及していくだろうという危機感を強く覚えました。
※区議会への課題
 区議会に対しても私たち保護者がどういう要望を持っているのかをきちんと示さなければいけないという必要性を感じましたし、逆にいえば、私たちの要望が反映されるような区議会であるべきだと思いました。
※世幼P連としての課題
 「世幼P連の存在意義は一体どこにあるのだろうか?」との疑問が各役員、委員そして各園の会長の間から聞こえてきました。1園が廃園にされそうになっている時に12園がいっせいに反対の声をあげ、守るための運動をすることは世幼P連として当然の行動ではないでしょうか?P連メンバーとして無力感を感じた人もあったようでした。・・・・・・・・・
将来他の区立園が廃園に追い込まれた際に世幼P連として何が出来るかは今後の課題となるでしょう。
                    
存続の会閉会
 存続の会は今年1月26日、世話人会を開き、今年度をもって同会を解散する方針を決定しました。最大の理由は、『区立幼稚園全保護者が会員となる団体「世田谷区立幼稚園PTA連絡協議会(以下世幼P連)」が区の廃園計画に基づく意見交換会出席を受け入れる方針を決めた以上、今まで存続の会が活動目標としてきた区立幼稚園の存続要求は、もはや区立幼稚園保護者の総意とは言えなくなってしまった』と最終判断したためです。もちろん、世幼P連の中にあって下馬幼稚園の廃園時に当時の委員が感じたのと同じようなジレンマを感じ、その中で悩まれた方がいらっしゃるということは想像に難くありません。しかし、同時に、世幼P連が世田谷区立幼稚園の保護者にとって唯一の正規の保護者団体であることにも間違いはありません。私たちの会はあくまでも、圧倒的多数の保護者、そしてその代表である世幼P連が区の廃園計画の不透明さに疑問を感じ、不信感を抱いていることを前提に存在しうる団体でした。
保護者団体としての世幼P連が意見交換会に出席、新型施設開設のためへの始動をはじめた以上、今まで存続の会が活動目標としてきた協議機関の設置も区立幼稚園の存続要求も、もはや「保護者の総意」として行政へ届けることは困難であると思い、会としての活動の継続は不可能と判断いたしました。

存続の会、発足の経緯
 平成15年、熊本哲之区長の区立幼稚園全園廃園発言に反発した当時の世幼P連は、「世田谷区民にとってかけがえのない区立幼稚園をなぜ潰さなくてはならないのか、すべての家庭に門戸を開く区立園は不可欠だ」との強い思いから、区長に質問状を提出。同時に緊急に各園PTA役員有志を招集し、「意思決定プロセスが煩雑な世幼P連より、機動力のある任意団体に活動を委ねた方がスムーズに進む」と考え、存続の想いを実際の行動に移すため、「PTAの補完団体」として、その年の7月に存続の会を発足させました。このように、存続の会は、世幼P連役員会の発案により、世幼P連役員らの全面的なバックアップの約束のもと、誕生したのです。実際、存続の会初期メンバーには世幼P連委員、各園PTA会長も多数加わり、世幼P連の活動と存続の会の活動は矛盾することなく、進められていました。しかし、世幼P連活動は1年単位ですし、幼稚園の在園は2年間です。さまざまな場面で引継ぎや、継続性にまつわる問題は生じてきます。現世幼P連委員の方々にはこの発端は預かり知らぬこととは思いますが、存続の会と世幼P連のあるべき連携を願って活動した存続の会として、発足の経緯を書き加えさせていただきました。下馬幼稚園を守る会の活動以来、そして、今回の活動を通し、更に将来へつながる課題になることかと思います。

存続の会の成果

★署名、陳情
 この2年半で存続の会は幼稚園の今後を考える協議の場への住民参加を求め、署名運動を展開し、のべ9万人近くもの署名を集め区議会に陳情書を提出。同時に教育委員会、文教委員会の場で陳情内容の趣旨説明をおこない、区立幼稚園存続を願う保護者の声を区議会また教育委員会、そして行政へと最大限に伝えるべく積極的な活動を続けてきました。 

★講演会活動
 講演会活動として、区立幼稚園の存在意義をテーマに平成15年秋、東京大学院・佐藤学教授を招き、また翌16年秋には日本女子大学・小川博久教授(日本保育学会会長)を招き講演会を開催。講演会には、一般の聴講者のほか、世田谷区議会のほぼ全会派の区議が出席し、幼児教育の重要性を再認識する場となりました。

★全園廃園の公約撤回
 こうした活動で、区長の区立園全園廃園の公約は撤回されました。

★区長対話
 また、再三の要求の末、他団体に先駆け平成16年11月には、区長対話も実現。その対話の中で、幼稚園担当事務局と区長の間には情報の共有がなされていないことがわかりました。保護者の大きな反発の中で紛糾した旭、羽根木幼稚園廃園、用途転換についての保護者説明会についても、事務局からは「保護者の大方の了承を得られた」と報告されていたという区長の言葉に、対話の席についていた保護者は大きくどよめき驚きましたが、そのような状況であったからこそ、区長との直接対話は私たちの生の声を届けるという意味で貴重な場であったと感じています。

旭幼稚園、羽根木幼稚園の廃園、用途転換方針発表
 そうした中で区側は、保護者が存続の会設立当初からずっと求め続けてきた、区立幼稚園の今後に関わる「協議機関」の設置要求を聞き入れず、平成16年7月一方的に区立旭幼稚園、羽根木幼稚園の廃園計画を公表。保護者側は「存続の会」の名前で抗議の意思を表し、大変緊張した状況が生じました。

*存続の会が求めた「協議機関」とは、区立幼稚園の今日的価値の検証からはじまり、区立幼稚園の存続、廃園も含め、広く民主的に意見を収集し建設的な議論をし、区長への答申など、区政への議論の確実な反映を期待しうる話し合いの場です。

意見交換会 VS 協議機関 
 また、区は保護者が訴えていた「協議機関」の代わりに、両幼稚園の廃園後に建設する「新しい形の総合施設」のあり方だけをテーマにする「意見交換会」という名目だけの会を、平成16年12月以降数回開催することを決め、存続の会と世幼P連の両者にその場に出席するよう要請。この際、区側は「意見交換会では廃園問題は議題にしない」と通告してきた為、当時の保護者は、保護者の意見も汲みいれたという体裁をとるためだけに意見交換会を開催しようとする区側の姿勢に強く反発し、区の要請を拒否しました。

存続の会、世幼P連ともに共通の思い 意見交換会不参加
 区立幼稚園の現場を本当に見ていただけたのか、障がい児の行き場は確保されているのか、区が継承するという区立幼稚園の保育は民間施設に馴染むものなのか、幼いうちだけでも長時間子どもに接することを大切にする育児スタイルを選びたい保護者はどこに行けばいいのか、あるいは、そうした選択肢は全くなくしてしまっていいのか、そもそも現在ある区立幼稚園の需要を断ち切ってまで新型施設を求める区民の声は一体どこにあるのか・・・。様々な疑問とともに保護者の心には、まだ議論は終わっていない、それどころか、まだ議論すらされていないのではないか、という共通の想いが存在していました。その結果、存続の会も意見交換会に欠席、また、同様に当時の世幼P連も意見交換会出席を見送ることとなり、この時点で存続の会、世幼P連ともに保護者の総意として、区側に「NO!」を突きつけたのでした。

世幼P連 意見交換会参加
 しかし、平成17年度に入り、新しい役員会を発足させた世幼P連は「区側と対立してもよい結果は生まれない」とし、これまでの方針から一転、「意見交換会」に出席する方針を決定。その際、存続の会は意見交換会への参加、不参加は区に対する態度表明としてとても大きな意味をもつことになる為、さまざまな角度から熟慮し、慎重な判断を下してもらいたいという願いから、新年度世幼P連各委員、各園PTA会長宛てに、その判断材料として、昨年度、世幼P連、存続の会ともに不参加決定をした経緯や、それまで、保護者不在でおこなわれた意見交換会の主な意見のまとめ等の資料を届けました。なぜなら、世幼P連メンバーも1年ごとに全員が入れ替わる状況では多少の引継ぎはあるものの、継続して事態の経緯を追う事は難しいと感じたからです。
また、資料だけではわかりにくいこの問題を多数決で決めてしまう前に、この問題にずっと関わり、議事録を読み、その討論のやり方に大いに疑問をもっていた存続の会として、どうして区側と対立するに至ったか、これまでの経緯やこの問題の含む問題点について説明の機会が必要だと感じました。そこで世幼P連定例会に出向き、顔と顔をあわせて対話する機会を設けてくださるようにお願いしましたが、残念ながらその機会は与えられませんでした。
立場こそ違え、お互いに幼稚園のより良い姿を求め活動しているものとして、もっと意思疎通の場が設けられれば、両輪として協力しあえる部分もあったのではないかと感じます。都幼P連(東京都公立幼稚園PTA連絡協議会)の定例会には、PTA団体ではない存続活動団体も出席可能で、同じく廃園問題で悩む他区の存続活動団体の代表者が意見を述べ協力を仰ぐ姿が見られたのを考えると、存続の会としてお願いしてあった世幼P連との懇談等は、将来また別の園でこのような事態が生じた時に是非実現していただきたいと強く感じています。

私たちの提案 別の方法でこそ意見は伝えられる 
 私たちは意見交換会には不参加でした。しかし、だからといって、区に対し、区立園、さらには民間幼保施設について意見を届けることをやめたわけではありません。世幼P連が意見交換会参加を決定するにあたっては、いずれ新型施設が作られてしまうならば、少しでもそれを良くするようにはたらきかけ、自分たちの希望を取り入れてもらわなければという責任感が大きく働いたことと察します。区立幼稚園間の相互連絡のほかに、行政と保護者をつなぐパイプ役をになう世幼P連であれば、その決定に際して様々な考えの中で次善の策をとらざるを得なかったのだとも承知いたします。
しかし、私たちは意見を届けるという責任は別の形でも果たしうる、むしろ、意見交換会という制約つきの場で意見を述べるよりも区立幼稚園保護者としてもっと自然な方法をとるべきだと考えていました。意見は参考にする程度、廃園問題は議題に載せないとあらかじめ不合理な条件を課された意見交換会に座り、自分たちの本来の主張を述べることがかなわないのであれば、意見交換会以外の別の形で意見を届ければ良いと考えていました。
存続の会は昨年夏までに教育委員会と6回の懇談会を重ねてきました。その場においては何の制約も無く、区立幼稚園の存在意義や行政のやり方についての疑問、新型施設の進行状況について等、区の方々と意見交換をしてきました。また、「幼児教育に関する協議機関の早期設置を求める要望書」、あるいは教育委員会が提示した「世田谷区の幼児教育の現状と課題に関する質問書」といった形で、発足以来、計10回の要望書、質問書、申し入れ書の提出を重ね、教育委員会、行政へ働きかけ、意見を届け続けました。また質問書に関しては、満足のいくものではありませんでしたが、区からの回答の席も設けてもらいました。更に、新型施設については旭、羽根木幼稚園での新型施設のついての説明会に出席、その場で、新型施設構想案に盛られている内容について質問もいたしました。
意見交換会という廃園を前提とした土俵にのらなくとも、区立幼稚園について、幼保園への用途転換について自由に発言できるのではないかというのが、私たちのとったスタンスでした。

意見交換会参加が意味するもの 
―今回の区のやり方を認めていいのか・残る9園のために―
 私たちが恐れていたのは、廃園を前提とした意見交換会に安易に参加することで、この2園のみならず、この先、残る9園の方向性も決まってしまうということでした。
意見交換会参加、不参加は、今回の旭、羽根木幼稚園廃園に係る区の手続き-決定までは何の説明もまた保護者の意見を吸上げる何の機会も設けず、役所内で全てを決定、その後、お手紙一枚で用途転換を通達するという区の手続き-を認めるか否かということを意味していると考えていました。
今回、このやり方に異を唱えなければ、このやり方は将来また繰り返されるであろう。残る9園のためにも保護者としてできることは、意見交換会参加というかたちをとらず、それでもなお積極的に意見を届け続けるということでこそあったのはないでしょうか。
意見交換会のあり方を含め、検討する課題は残されていると考えます。

教育条件整備のための要望書
 世幼P連には、区立幼稚園保護者の要望を区に届けるという大事な仕事があります。毎年秋には、「教育条件整備についての要望書」という形に世幼P連がとりまとめ、保護者の要望を世田谷区教育委員会に提出しています。例年、最重要トップ項目は区立幼稚園の存続と充実であり、世幼P連として、保護者の最大の要望事項を区教育委員会にアピールしてきました。廃園問題が起こった平成15年度には、要望書提出の会において、区立幼稚園の地域の中での役割、あえて先取り教育に走らず、幼児期に必要な保育をくりひろげている区立園の姿を述べ、区立園全園の存続を訴えました。次年度も、要望書の第一行目は「全園の区立幼稚園としての存続の再検討をお願いいたします」でした。そして、新型施設のための意見交換会に出席を決めた平成17年度、その一行目から全園という文字は消え、「区立幼稚園の存続」とタイトルされました。
いま現在区立11園の連絡協議会でありながらも、世幼P連が要望書を区に届けるにあたり様々な想いを抱きつつ、2園については積極的な存続の要望を外す判断をされたのでしょう。教育委員会に依存して活動する部分もある世幼P連という性質上、教育委員会や行政に背を向けて廃園反対を大きく唱えることは心情的にも難しいと言わざるを得ないかも知れません。と同時に、下馬幼稚園の廃園時に当時の委員の胸にわいた「1園が廃園にされそうになっている時に12園がいっせいに反対の声を挙げ、守るための運動をすることは世幼P連として当然の行動ではないでしょうか。」「世幼P連としての存在意義は一体どこにあるのだろうか」という疑問は、10年経った今もそのままにあり、将来的にも世幼P連が保護者の組織として、何が出来るのかというこの重い課題は残されたと言えるでしょう。

残る9園についての協議機関設置要望についての合意
 昨年度、存続の会そして世幼P連ともに、協議機関の設置の必要性については合意していました。強引な行政のやり方をとめ、幼稚園の今後を良いものにするいちばん大切で民主的なプロセスだと確信し、目標としてきたものです。協議機関の設置の要求は、世幼P連とともに並んで行なうからこそ「保護者の総意」として大きな意味を持つものでした。

世幼P連提出の「残る9園についての協議機関設置」の要望書
 昨年度、世幼P連定例会の席では、せめて廃園・用途転換する園として名指しされていない残り9園については、その今後を話し合う際の協議機関の設置を、世幼P連からも区に要望しようという議題が上り、定例会にて要望することに決定。その手順として、まずは要望書を教育委員会に提出し、その要望が受け入れられなかった場合、あらためて世幼P連として陳情書の提出を検討するということが定例会の中で決定されました。残る9園についての協議機関設置を求める昨年度の要望書に対する区の回答は何の進展もなく、このままの状況では協議機関設置は望めるものではありませんでした。
※陳情は要望とは異なり、議会に付託されることにより、議会での審議が約束され、意見や希望を直接区政に反映させるための手段として要望よりも大きな効力を持つものです。

協議機関設置についての申し送り
 しかし、その回答を前に、現世幼P連では昨年度議題となった陳情書での再要望を検討する機会はもたれませんでした。1年単位で委員全員が入れ替わり、存続に関する大きな山場で忙しかった16年度の事柄も全てが引き継がれ、申し送られるということは困難だったのだと想像します。今年度、世幼P連委員のほとんどの方が「9園の今後を話しあうための協議機関設置」の要望書に関してご存じない事実を知り、存続の会から、その経緯をお伝えし前年度からの申し送りを見直し、世幼P連としての継続性を保ってくださるようお願いいたしました。
残念ながら協議機関の陳情の再検討は議題にもならなかったと聞きますが、大きな組織であるからこそ抱える問題として、継続性の維持や方針の変更にさいしての手続きが課題として残されたと考えます。

存続の会の主張 
 存続の会は幼保施設を否定している訳でもなく、また保育園需要を否定している訳でもありません。まだまだそのヴィジョンが確立していない日本の幼児教育を模索する上で、どういったものがふさわしいか、何を大切にすればその後の子どもの育ちが期待できるのか、また、今現在教育委員会が直接的に指導できる、数少ない就学前教育の場である区立幼稚園の今後を考えるのであれば、まずは区立幼稚園を廃園する前に、区立での運営や、今の保育の継承を含め、多くの人の議論の中から守るべきもの変えるべきものをあらいだし、新しい道を探し出すのが民主的ではないかと主張しているのです。今後残る9園についても、同じようなやり方で、行政からの突然の用途転換通告で、地域の中から区立園の選択肢が消えていけば、これを元にもどすことは不可能です。今、区立幼稚園11園として意思表示ができるこの最後の時期を、行政や議会に向け区立幼稚園保護者の意思を伝えるべきではないかと考えていました。

意見集約のむずかしさ  
 下馬幼稚園廃園問題のおこった平成8年度そして、熊本区長の全園廃園発言に端を発した今回の存続問題の渦中の平成15年度と、世幼P連は過去2回、各園の全保護者を対象にしたアンケートをとりました。平成8年度は「見直してみよう、区立幼稚園の良さ」という研修会のテーマに先立ってのアンケートでした。平成15年度は、「区立幼稚園のあり方について」とタイトルされたアンケートでしたが、94%の保護者が区立園に満足しているということを含め、満足の要因、保護者の望む幼児施設について、情報提供のあり方について等の保護者の意識を区に届けることが出来ました。結果を集計しまとめて資料にするという膨大な作業を経て、平成8年度は教育委員会に提出。また15年度は区議会、教育委員会に提出のほかP連の広報誌「世幼P連だより」の特集として掲載。ともに、区立幼稚園の良さを紹介する機会となりました。
 今年度、世幼P連では昨年10月の定例会において、区教育委員会幼稚園担当者から幼稚園と保育園の機能を一体化した「新しい形の総合施設」構想案の資料が提示され、簡単な説明を受けました。この構想案についてのアンケートとして世幼P連委員の個人的な感想文を集めるという指示が、世幼P連会長の発案で出されました。アンケート収集までわずか1週間足らずの期限で構想案についての自由筆記という課題を各園世幼P連委員は持ち帰ったのです。
後日この新総合施設構想案についてのアンケート(感想文)は世幼P連より、教育委員会事務局、幼稚園担当に提出されました。このアンケート提出をP連委員全員が知ったのはその提出後のことで、事前に世幼P連委員全員の合意を受けたわけでも、委員全員がそのアンケートの使い道を知っていたわけでもありませんでした。後で、自ら書いた感想文がアンケート結果として区教育委員会に提出されたことを知り、ことの重大さに気がついた方もいらっしゃったそうです。区へ提出した書類には、個人意見として新型施設への賛否両論が箇条書きされていましたが、果たして区立幼稚園保護者の正規団体としての意見集約としてふさわしかったのか、ということには疑問が残ります。一部の世幼P連委員から、世幼P連会長に抗議がありました。しかし定例会の席での謝罪のみで、区に提出された感想文が回収されることはありませんでした。
この際、存続の会は、各世幼P委員が構想案についての感想文を書くという情報を得、アンケートや感想文の収集といった意見集約、また、その持ち出しに関しては慎重にお願いしたいと、世幼P連会長はじめ連絡の取れる世幼P連委員にお伝えしました。なぜなら、世幼P連委員すらアンケートの使用目的や利用方法も明確に知らされなったという手続きに対する疑問とともに、どのような形であれ、もしそれが教育委員会に提出されるようなことがあれば、おのずとそのアンケートに記された意見が、行政や議会の中で区立幼稚園保護者の意見集約といった重要な意味合いを帯びてしまうことを危惧したからです。そして、何よりそれまで、幼保施設について知識や情報が少ない委員の方々であるなら、わずか数日で初見の資料を的確に読み解くことはとてもむずかしいと私たちの経験をもとに考えたからです。
私たちも行政、議会との対応に並んで、時々の事態をみなさまにお知らせし、在園の保護者のみなさまの力で何とか世幼P連と存続の会の連携を保ちたいとは願っていましたが、世幼P連委員や各園会長宛てにお手紙や資料を作成しお届けするのに追われ、広くみなさまにわかりやすい十分な情報提供をするには力及ばなかった昨年上半期だったと感じています。
世幼Pと存続の会は同じく区立幼稚園を愛する保護者同士だと思います。それゆえ存続の会としてさまざまな形で協力と再考を世幼P連にお願いし続けてはきましたが、真意を理解していただくのに必要な対話の場を得ることが出来ず、残念ながら世幼P連のになう保護者の総意は私たちの会と同調するものとはなりませんでした。
今年度の世幼P連の方がたと意思疎通が出来ていたならば、お互いの信頼関係のもとにアンケートや意見収集についての私たちの危惧をご理解いただけたかもしれません。同じ保護者でありながら、別組織として活動することの抱える問題は私たち皆が解いていかなければならないことだと思います。

様々な疑問
 「区立幼稚園は世田谷区民の財産だ。 次代の子ども達、親達のためにもぜひ残したい」 
ただその思いで始めたこの運動は、市民運動などそれまで経験したことのない『普通のお母さん、お父さん』達によるものでした。
初めて議員折衝をし、初めて陳情書をつくり、初めて議員や教育委員の前で趣旨説明をし、初めて講演会を企画し…膨大なメールをやり取りし、度重なる会合で意見を述べ合いながら、全て初めての出来事にメンバーみな、力を合わせて一生懸命あたりました。その結果、区長の公約撤廃、区長対話、講演会、廃園にあたっての在園児卒園までの保育の保証、意見交換会議事録開示など、いくつかの成果を得ることはできました。しかし、こうした活動を通して『素人』の私たちに見えてきたことは、世田谷区の行政のあり方、議員の方々の姿勢に対する様々な疑問でした。

区議会、行政とのやり取りのなかで
区立幼稚園についてのアピール 
 おもえば、設立当初、初めて区議会を訪れ、存続を訴えた際、大会派との懇談会の席で「君達、区立幼稚園、区立幼稚園って錦の御旗みたいに言われたって困るんだよ。区立幼稚園っていったって、安いから行ってるんでしょ」と言われ、区立幼稚園を選択した保護者は安いから行っているという一くくりのうちに捉えられているのだと愕然としましたが、それ以上に、廃園を推進している政党の議員の方々自身が、その廃園しようとしている区立幼稚園の中身について何もご存じないということに驚きました。と同時に、それならば、安いということのみが区立園選択の理由ではないし、満足の要因ではないことをお伝えし、区立幼稚園の保育の質、存在意義をお伝えできれば、区立幼稚園を廃園しようとはならないだろう、という目的意識を抱きました。また同様に、各政党の区議の方々も区立幼稚園について深くご存知ないことが折衝を通じわかり、存続の会の各園有志手作りで、各園の保育内容、地域コミュニティーとしての活動、ノーマライゼーションの実施の様子などを様々ファイルし、最初の陳情書提出の折に、教育委員会、各会派区議会議員の方々にお届けしました。そして、区立幼稚園の意義を見直していただきたいと再三アピールしました。しかし、そのファイルは果たしてゆっくりとめくられたのでしょうか。そして、実際に区立幼稚園の保育のありようをわが目で見ていただけたのでしょうか。

協議機関という民主的な考え方
 そもそも、何故、区民の財産である区立幼稚園の今後のあり方を、区教育委員会の方々だけではなく、当事者である私達区民も交えて、みなで話し合って決めたいという単純で民主主義の基本ともいえる考え方が拒否されるのでしょうか。

暗黙の了解は許されない
 素人だった私たちは、何をするにも手探り、区議会事務局に何度も何度も足を運び確認を重ね、それでも、区議会のルールにのっとり、陳情をあげ、署名を集め、趣旨説明をし、と教えられた正攻法で進んできました。
しかし、ある議員は保健福祉委員会の席でこう言われました。
「区立幼稚園の廃園は暗黙の了解で決まった。」
民主主義を貫くべき区議会の場で、このような重大事項が暗黙の了解で決定される。それは区議会の当たり前のプロセスだったのでしょうか。
またある議員の方の言うように、「政治とはこういうもの。君達まだやっているの」ということなのでしょうか。
あるいは、区民の区政への直接参加の道は陳情、請願等で保証されていると区議会のしおりには書いてはあるものの、実際はある議員の言葉のように「政治は政治のプロに任せなさい」ということなのでしょうか。

区立園存続の選択肢が消えた議事録開示に応じず
 公式文書として、平成16年3月時点で区教育委員会のまとめた報告書『世田谷区の幼稚園における現状と今後のあり方』では、区立幼稚園のあり方について全園存続という選択肢が確かに明記されていました。
しかし、4ヵ月後、同年7月の文教委員会において突然、旭・羽根木区立幼稚園の廃園方針が発表されました。この時、存続の会は全園存続の選択肢が消え、2園の廃園が決定されるに至る議論の過程を知りたくて、その決定をした庁内の「区立幼稚園のあり方検討委員会」の議事録を開示するよう求めましたが、『そのようなものはない』という回答でした。この間の議論、途中経過は議会のそして行政の暗黙の了解の中に封印されてしまったのでしょうか。

区政にたいする失望と不信
 更に、同年9月。 議員折衝の際、『ただやみくもに廃園反対を訴えている訳ではない。廃園にするか否かを現場の先生方、保護者、有識者、あらゆる関係者を含め、私立幼稚園、保育園、区立幼稚園などそれぞれの果たす役割、存在意義について議論し世田谷区にみあった幼児教育とはどのようなものか慎重に決める場を作って欲しい』という私達、存続の会の訴えに対し、議員の方々は、『気持ちはわかるけど、無理なのよ、もっと早く言ってくれれば何とかなったのに・・・』と言葉を濁しました。存続の会は、設立趣意書にもあるように、平成15年の8月、その設立の当初から、協議機関さえ作ってくれればとの思いを、ずっと訴えてきています。
この経過の中で、一体、いつなら「遅くない。間に合う」と言ってもらえたのか…。こうした場面に出会うたび、多くの保護者が世田谷区政に強い不信感をいだきました。

3度目の陳情提出決意
 このような、不信と失望を抱きつつも、私たちは、昨年夏の時点で再度の陳情をあげようとしていました。結果的には陳情は後で述べる理由で断念しましたが、そこにいたる経緯をおつたえします。

意見交換会は機能していない その事実を伝えたい
 私たちの中で、陳情があげられると判断した理由は、存続の会が主張してきた「意見交換会の不備」を裏付ける具体的な事実を知り、この事実をもってすれば、協議機関の設置の必要性を理解してもらえる、その事実をもって区議会議員にあたれば、私たちの活動や協議機関設置の陳情趣旨に再度理解いただき、行政に働きかけていただけると確信したからです。
「意見交換会」とは、協議機関を作らない区が、その替りにと持ち出したセレモニーとしての会です。当初議事録の作成も予定されていませんでした。(議事録作成は存続の会の要求によるものです)しかし、「意見交換会」は名ばかりの会と主張しても、建前はあくまで、≪有識者、関係者の意見を構想案に反映する目的≫の会です。
昨年の夏時点、意見交換会の議事録は1回目のものしかできておらず、再三の催促にも関わらず、半年以上の時間をかけて2回目の議事録を作成中、その間、新型施設への準備は着々と進められている事態に、一体、議事録なしにどのようにして意見交換会の内容を庁内での構想案に反映できるのかという疑問が湧き教育委員会幼稚園担当係長に「議事録の作成も大幅に遅れているのであれば、いったい意見交換会の意見は庁内のあり方検討会にどのように報告されているのですか」と質問をしました。

意見交換会の議事録は厚くて見ない
 その答えは「議事録は厚くて見ませんから、主な意見のまとめを回覧するのです」というものでした。あまりに不誠実、いい加減な返答、行政の姿勢に驚きと怒り、失望の念を抱かざるを得ませんでした。行政は意見交換会の意見を着実に構想案に反映するのに必須で基本的なシステムすら持っていなかったのです。議事録は厚くて見ないのであれば、一体どのように意見を反映、問題点として議題に上げ検討するのでしょうか。≪意見の反映という建前≫すらも棚上げにして、それを恥じることなくことを進めている。
この事実を持って私たちは再度、このようなまやかしの会ではなく、区長への答申が約束され、確実な意見反映の場である協議機関の設置を主な趣旨として再度の陳情をあげようと決意しました。

3度目の陳情書提出断念に至る経緯
世幼P連への協力依頼
 陳情案を作成する傍ら、至急、各園会長、世幼P連委員宛てにお手紙を差し上げ、意見交換会の意見が庁内のあり方検討会にどのように反映されているか、あるいは、いないかについて、また意見交換会の主な意見の内容について資料を同封し、総合施設開設を前提とした箱物論以前にサービスの充実に先行する子育ての時間の確保、子育てスタイルの見直し、親育ちの場である公立幼稚園の意義の検証といった根本的な議題があることが有識者の中から指摘されていることを、お知らせしました。

全会派議員折衝
 また、3度目の陳情に向け、夏から秋にかけ、区議会の全会派との議員折衝にあたりました。陳情案としては以下の2本立てを考え、その中で特に強調したのは、意見の反映の場として設けられた意見交換会がその機能をはたしていないということでした。

折衝に使った陳情案抜粋

①残る 9園の今後を考える上での協議機関の設置についての陳情
区立砧、給田、桜丘、多聞,塚戸、中町、八幡山、松丘、三島幼稚園の既存のあり方
について、変更、見直し等をする状況に至った場合、その検討にあたって協議会の設置を求めます。

②旭・羽根木幼稚園についての陳情
2園廃園後の、「新しい形の総合施設」構想案検討のための意見交換会のあり方を、有識者、区民の意見が反映できるように見直し、実情にあった形に変更することを求めます。また、意見交換会での議論が一定の方向をもって進んでいない現状と国の補助制度も未定の状態では、19年度早い時期の開設も困難であり、幼稚園待機児をつくらないためにも、計画を一時凍結し、慎重に議論する時間を確保することを求めます。

議員折衝の結果
 議員折衝の結果、一部会派の議員の方々からは理解、賛同を頂き、励ましや、ご協力を得ることができましたが、陳情の採択の決定に関わる大きな会派の区議の方々には、保護者、関係者としての素朴な疑問「議事録を読まずして、一体どうやって意見交換会の意見をあり方委員会に反映することができるのか。また、意見を反映する予定が無いのなら、意見交換会は無意味ではないか」といった単純な疑問を共有していただくことはできませんでした。
 意見交換会の議事録は厚くて見ないという行政関係者の言葉をお伝えし、その言葉にどれほど保護者が驚きと失望を感じたかということをお知らせしても、私たちの気持ちを吸上げ、陳情審議の場で後ろ盾になると言っていただける大会派はありませんでした。
確かに、不採択があらかじめわかっていたとしても、陳情をあげ、その場で、自分たちの主張を述べることも自由です。党の立場として採択はできないが、存続の会としての主張を述べるという意味で陳情自体は否定しないという助言も頂きました。

陳情の断念
 存続の会としては、世幼P連のバックアップがない状況で、今回の陳情を骨抜きにして採択を願う陳情に変更するか、存続の会としての主張を貫く陳情のまま提出するか、あるいは陳情の取りやめかといった選択肢の中で悩みましたが、世幼P連が保護者の代表として、区の方針に疑問や不信感をあらわにせず、行政との新たな道を歩み始めた以上、会として、陳情提出ならびにこれ以上の活動は断念せざるを得ないと結論しました。

区立幼稚園へのこだわり 
 もちろん区立幼稚園に対する思いは変わらず、小学校での子どもの育ちを考えればますます大切に思うばかりです。私たちが、なぜこれほど区立幼稚園にこだわったか、それは幼稚園という2年間以上に、その後、小学校、中学校へと続く子どもの育ちの根っこの部分としていちばん大切なものが区立幼稚園の中に詰まっていると感じたからでした。 
他方、区や行政が区立幼稚園を見る視点は、財政改革であったり、就労支援であったり、または公約の具体的な実現、あるいは、国の動向にマッチした新味を帯びた施設開設としてのターゲットとしてであり、最初から、平行線であったといえるでしょう。私たちにとって旭、羽根木という区の貴重な財産が民間の幼保施設となっていくのを止めることができなかったことは、本当に辛く残念ですし、残り9園の行く末も、大会派の議員の方々から「2園にとどまらず、区立全園を総合施設に」という議場での発言もある中、そのいく末に不安を感じます。

区民の力
 平成15年9月、区議会定例会、区議会傍聴席が満席となったのは、世田谷区議会始まって以来はじめてのことだったと聞きます。たくさんの区立幼稚園保護者が小さい子どもをつれてまでして、傍聴席に駆けつけました。区長の「区立幼稚園を廃止し、その浮いた財源で公立小中学校にエアコン設置」という目標に多くの保護者が異を唱えたのです。そしてその反対の声を区議会傍聴という形で区、そして区議会に示したのです。結果、区長の公約は撤回されました。みなさんの団結、みなさんの意思表示、みなさんの声は、行政にとっても、議会にとっても大きな抑止の力となるのです。
 子ども達が伸びやかに遊ぶ幼稚園の日常は一見すると、行政、議会、教育委員会とは無関係な領域だというような錯覚に陥ります。しかし、私たちの普段の意識の中にそのことが思い浮かぶかどうかとは関係なく、いやおうなく子育て環境、そして幼稚園といった子どもの育ちの環境は政治のおもわくに絡んでそのあり方を左右されていきます。
子どもの環境を守るという大人の責任を果たすためにも、私たち大人が意識的に子どもの回りでおこっている色々なことを学び、話し合いを重ねていることがとても必要だと感じます。
区の不透明な行政を変え、保護者本位の区政を実現できるのは、世田谷区長でもなければ教育委員長でもありません。それは、私たち一人一人の世田谷区民です。区民が「おかしな区政」をチェックし、言うべきことを行政に伝え、そして来るべき区議会選挙、区長選挙で「未来の子どもたちへの一票」を投ずることで世田谷区にふさわしい幼稚園行政を取り戻しましょう。

おわりに
 存続の会としての活動は閉会とともに終わってしまいますが、個々のメンバーの問題意識は変わらず、行政のゆくえを注視していきたいと思っています。草の根運動として、区立幼稚園各園内に有志の会が残る園もあります。OGとなったメンバーも忘れることなく区立幼稚園を見守っていきます。振り返ってみれば、存続の会立ち上げに際し、当時の世幼P連役員にいち早く事態の重大さを告げ、裏方として助言や助けの手を差し伸べ、会の発足を誘導してくださったのは当時もう卒園されOGだった元世幼P連会長だったことも思い出されます。在園、卒園に関わらずメンバー一同、残る9園が区立園として存続、更に充実し、就学前教育のモデルとして素晴らしい幼児教育を発信していって欲しいと願ってやみません。
 最後に、長い間、ご協力ご理解いただきましたみなさんにお礼申し上げます。ありがとうございました。また、事実を伝えるうえで失礼な箇所もあったかとおもいます、お詫び申し上げます。

HPの取り扱いについて
 「区立幼稚園の存続を願う父母の会」では、パソコンからでも携帯電話からでもアクセスできるホームページを開設しています。
ホームページは、今後残り9園が廃園、用途転換を具体的にせまられ、保護者による存続運動を起こそうというときの足がかりになるかと考え、このまま継続維持いたします。ただし、最新記事のアップはいたしません。
また、公立幼稚園の廃園問題は世田谷区にとどまりません。存続の会のホームページには同様の問題を抱える全国各地からの問い合わせがあります。そういった方々の参考になれば幸いです。
掲示板は区立幼稚園関係の情報交換の場として利用していただきたいと考えています。

存続の会通信 最終号 閉会のご挨拶、そして、私たちの活動の軌跡
「sonzokutsuusin38.doc」をダウンロード

管理人の都合で公開作業がされてなかった通信もアップいたします。
遅くなりすみませんでした。どうぞ、ご覧ください。

存続の会通信1号
「1.doc」をダウンロード
存続の会通信2号
「2.doc」をダウンロード
添付資料
「tsuushin2shiryou.doc」をダウンロード
存続の会通信7号
「7.doc」をダウンロード


| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 14, 2005

第8回意見交換会に、世田谷区立幼稚園PTA連絡協議会代表、6名の区立園保護者、初参加

 10月26日、区役所第庁舎第3委員会室にて行われた、区立旭・羽根木幼稚園廃園・用途転換後の総合施設についての意見交換会に、世田谷区立幼稚園PTA連絡協議会の代表として、保護者6名がはじめて参加しました。
 いままで、一度も、公私立保育園保護者・公私立幼稚園保護者は参加しておりませんでしたが、今回はじめて、6名の区立幼稚園保護者が参加しました。
意見交換会の今回の議題はフリートーキング、参加メンバーは、以下のとおりです。(教育委員会事務局作成資料より)

学識経験者 武藤 隆   中央教育審議会幼児教育部会 副部会長
             社会保障審議会児童部会 委員
            (白梅学園短期大学 学長)
学識経験者 普光院亜紀  世田谷区子ども・青少年問題協議会 委員
            (「保育園を考える親の会」代表)
関係者代表 天野 珠子  私立愛珠幼稚園 園長
関係者代表 平野 克己  私立代田幼稚園 園長
保育者代表 櫛原 寛   区立桜丘幼稚園 園長
            (区立笹原小学校 校長)
保育者代表 田村 秀子  区立八幡山幼稚園 副園長
保護者   矢倉ゆう子  区立幼稚園保護者
保護者   近藤 安代  区立幼稚園保護者
保護者   渡辺 由子  区立幼稚園保護者
保護者   森田 浩実  区立幼稚園保護者
保護者   河原 法子  区立幼稚園保護者
保護者   碓井 七美  区立幼稚園保護者
行政職員  田中 茂   子ども部長
行政職員  霧生 秋夫  子ども部 子ども家庭支援課長
行政職員  中村 哲也  子ども部 副参事
行政職員  庄司 衞   教育委員会事務局 教育次長
行政職員  菅井 芳彦  教育委員会事務局 学務課長

事務局   子ども部 子ども家庭支援課、保育課、
       教育委員会事務局 学務課

 意見交換会での意見については、教育委員会作成資料および議事録を入手次第、皆様にご報告させていただきますので、しばらくお待ちください。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 07, 2005

9ヶ月かけようやく完成!総合施設についての意見交換会第二回議事録

 11月2日、教育委員会事務局・幼稚園担当・小湊係長から、区立旭・羽根木幼稚園廃園・用途転換後の総合施設についての第2回意見交換会の議事録が、ようやくできましたとの連絡を頂き、区立幼稚園の存続を願う父母の会(以下存続の会)代表世話人西山代行が議事録のコピーを頂きにまいりました。(作業に時間がかかりますので、議事録は後日公表いたします。)

 再三再四、意見交換会での議事録を早急に作成し、(実際に区立園を今後どのようにしていくかを話し合っている)庁内のあり方検討委員会で、充分に貴重な意見を反映していただけるように訴えてまいりました。
しかし、実際は今年はじめ1月26日に行われた第2回意見交換会の議事録が、ようやく11月に出来上がっているのが現状です。
 以前、存続の会メンバーが、教育委員会事務局・小湊係長に、「意見交換会の議事録を庁内のあり方検討委員会でどのように活用なさっているのですか?」とお尋ねしたところ、「意見交換会の意見のまとめを回覧するだけです。議事録は厚くて読みませんから。」という回答をいただき、多くの保護者はショックを受けました。
意見交換会開催当初は、議事録も作成しない、参加メンバーも公表しない、区立園存廃の根本議論は議題にのせない、当面3回のみ意見交換会を開催ということで始まりました。しかし、存続の会の訴えにより、教育委員会庄司次長の一声で参加メンバーの公表、議事録の作成、継続した意見交換会の開催は実現しました。
 けれども、折角作成された議事録は読まれず、貴重な意見のまとめが回覧されているだけでは、「意見交換会」は何のためのものなのかと疑問を感じます。区民の意見を充分に反映するためには、意見交換会では不十分であるといわざるをえません。

 学識経験者、地域住民、教育関係者、公私立保育園・公私立幼稚園保護者等が充分な話し合いをすることができ、それぞれの貴重な意見が、きちんと反映されるような協議機関が設置されることを切に願います!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 21, 2005

小川博久先生講演会『近年の子育て支援策の問題点』

昨年、11月16日奥沢区民センターにておこなわれました、存続を願う父母の会主催講演会、小川博久先生の「近年の子育て支援策の問題点」講演会録です。

世田谷区立幼稚園の存続を願う父母の会主催  
第2回講演会  平成16年11月14日  

近年の子育て支援策の問題点

講師  小川博久先生
日本女子大学 家政学部教授/日本保育学会会長  

 世田谷は下馬幼稚園で2年間交換研究をやらせて頂き、幼稚園の先生と2ヶ月に1回ぐらい研究会をやり、2年目で公開研究をやったと思います。私自身でいえば、25年ぐらい前から東京都の公立幼稚園の公開研究会、週、月1回ぐらいで来るんでしょうか、65園ぐらいの公開研究のご指導をさせて頂くという点でいえば東京都の公立幼稚園でまわらない区は全くありません。ほとんど全区の幼稚園をまわっているということで、東京都の公立幼稚園を1番良く知っているのではないかと思います。
 その他、小田原市は5年間通っておりまして現在は、静岡県の浅羽町とか東伊豆町、そういう所に継続して通っているということであります。そこで何を見るかというと、保育者と子どもの関係を見、子どもの育ちを見るわけですね。
最近、私、つくづく思うのは、公開研究会は公立幼稚園でだんだん無くなりました。河邊貴子さんにはお呼びがかかっているのかも知れないけれども私には来ない、研究会があまり行われなくなった、予算が無くなったということであります。
 実は学校の先生と比べて保育者というのは、絶えず自分の保育の姿勢を振り返らないと子どもにいい関係がとれないという職業であります。日本のお母さんというのは、ここにいる方がほとんどなのですが、今も残っていて、母性の意識というのが強い方が多い。子どもに対して非常に深い愛情を示すということがこれまでの伝統であるわけです。ところがその事が持っているマイナスが集団保育の場合に出てまいります。
子どもが自由に遊ぶという時に、一人の子どもにかかってしまって、気がついたらあと20何人かの子どもを見逃していたという事があります。保育という仕事は、クラス全体の子ども達を把握しながらなおかつ一人一人の子どもにどう援助するかという事でいえば、複眼の姿勢が必要で、一人の子どもの気持ちをしっかり受け止めながら子ども達全体をしっかり把握するという2重の課題を背負った職業であります。ですからクラス全体がとてものびのびとしてくれば、子ども達が全体に良くなって来るし、それは一人一人の子どもに目をかけると同時に全体を見失ってはならないという仕事であります。そうすると、これは野球でいうとヤクルトの古田さんみたいな役割が必要な職業なのです。近くの子どもにちゃんと目を向けながら、「ああ、そう?」って言いながら、この子に対する援助がおせっかいになったらスーっとぬけて、その時には他のこちらの方の子どもがさっき問題だったけど、『あの子はどうかな?』って最初の子から離れたとたんにこちらに目が行ってなければならない。そういう職業です。
幼稚園に行くと、特に自由の遊びの幼稚園に行くと、例えば二人のお子さんが「先生!来て!来て!!」って言います。そうすると最初にこちらの子が来ました。その次の子がこちらの子です。まず保育者がこちらの子に向かって「なあに?」って聞きます。するとその子は3歳で言葉が充分でない!「先生あのね!ええと、あの・・・ええと」っていうと先生はずっと待ってなきゃならない、でも次の子が待っています。その時に保育者はおもわず「はやくいいなさい!」って言ってしまう、それでは子供の自発性を大事にしていない。
ものの本には一人一人を大事にしなさいといっている。いっぺんに二人来たらどうするの・・・杉並の幼稚園の先生方に「二人いっぺん、三人いっぺんにきたらどうするのですか」と聞かれたときに私は「どうしようもありません!!」って答えました。そうしたら先生方は、この先生、ど素人だと思ってわーっ!と笑ったんですね、その後で私が言った言葉は、子ども達が先生の実態を把握して、今だれちゃんが行っているから、僕は待っていて、先生のあの話が終わったころ僕は出て行こうというような、子ども自身の判断ができる、そういう子供を育てなければいけないという事を言いました。
例えば4歳の子どもに絵本を読み聞かせると、「先生!あのね!先生あのね」とみんなが言います。そうすると、お話ができなくなる。そうすると「シー、シー、シー」と言います。そうすると、みんな静かにはなります。これは学校と同じだ。ところが5歳になると、すばらしい絵本の読み聞かせの先生は、「太郎君はじっとうずくまってしまいました」と言うと、子どもが「お腹、いたくなったんじゃない?」「身体の調子が悪いんだよ。」という。子どものそういう発言をうけながら、先生は次のせりふを言います。つまり、自分の読み聞かせの間に、子どもの発言がどんどん、ピシッと入ってくる。こういう先生の読み聞かせは、一人一人の子どもを大事にしながら読み聞かせをしている。子ども一人がそのつど、発言できるわけです。歌舞伎に行きますと、「なりくまや」とか言いますね。ちょうどあれとおんなじです。その合いの手が入るのが、芝居を良くしていくみたいな関係が実はあるのです。そういう保育を私はなんとか先生方に育てようと思っている。
今、子育て支援でとても大事な事は、親が自立する事です。ただ単に、育児不安から逃れて子どもを全部施設に預けて自分が解放されていますよという事はいいかもしれません。だけど、子育てはずっと大きくなるまで続きます。そうすると、子どもが自立してくれないと子育て支援は子どもを支えてくれるかもしれないけれど、小学校、中学校行ってまた、高校に行って問題が出るでしょう。そうすると、子どもが自立するとともに親も自立しなくてはいけない。両者が自立しなくてはいけない。お母さんが自立しようと思っている時に・・・自立という事は、しっかり子どもと向き合う事ができるために・・・子どももしっかり自立できなくてはならない。
生活習慣の自立と言う事をある保育所で僕は見ました。最近、非常に悩んで、子育て支援で問題だと思うのは・・・公立保育所に行きました。公立保育所の場合、とても大切なことは、子どもの自立と言う事です。生活習慣の自立が保育所で一番大事なことです。そこの保育所の先生方、50代の先生が「お母さん方がどうしようもないよ。生活習慣が自立していない、だから、朝、登園の時に、9時に連れてくる事ができないお母さんがいます。本当に困ったもんだ」というふうに言うわけです。そりゃそうですね。私はなるほどと思いました。ただ、箱根の温泉場の保育所なんかですと、仲居さんのお子さんなんかがいっぱいいますから、どうしても朝遅くなるというのが分かるでしょう。ところが、普通のサラリーマンの家庭のお母さん方が夜更かしするものですから、朝9時に子どもをつれてこられない、これは由々しき事だというふうに、保育者が言った。で、私はその発言と非常に奇妙だと思ったのは・・保育者の保育を見ました。どういう保育かと言うと、ちょうどプールを終えて、子ども達が、3歳児が部屋に入ってくる、入ってきた時に、25,6人います。すると、先生は、子どもの着脱衣を3歳だから手伝う。ところが、子どもが、なかなか言う事を聞かないで、すっぽんぽんで走り回ったりする。なかなか聞いてくれないから、時間がどんどん押せ押せで来る。二人の保育者で、一人はお弁当を取りに行っている。お弁当を取りに行っていて、そして、待っているその間、保育者は一生懸命着脱衣をやっているが、子どもは逃げ回っている。時間が、お弁当の時間になって、保育室にテーブルを出さなくてはならない。その人は、子どもに、着脱衣を「自分でやりなさい」と言って、見切り発車してそこに机を並べる。机を並べ終わった時にはお弁当がやっと来るのですが、その時でも、まだ着脱衣ができていない子どもがいる。慌ててやって、テーブルに着けさせて、お弁当・・・とみた時に、あ、保育者がお手伝いさんをやっていると私は思いました。保育者がお手伝いさんをやっている、わかります?・・子どもの身辺自立ができてない。一人一人、23人のパンツをぜんぶやって、23人に23通りやったら、時間がどれだけかかると思います?できる子がいるでしょう・・だれちゃん上手だね。ほら見てごらん、だれちゃん、上手だよ。といったら、他の子は大体、先生に褒められたいと思うから、自分で一生懸命努力する。そして、時間内に子ども達が自分で着脱衣をできるようにするというのが保育者の役割です。おまけに、お弁当の時に、私の知っている幼稚園では3歳でも皆で机を出すという努力をします。これは自立です。共同生活。こういう事ができなければ、子どもは自立していかない。身辺自立が。その事をきちっとやらせるという事が保育者の役割でしょう。それができてない。
お昼休みの時に、「子どもは午睡のとき寝ない」と言うのです。「寝ない 」と新卒の保育士が泣いているのです。私、見せてくださいと行きました。やはり、プールの後ですから、プールからあがった後、保育者が一生懸命、髪をタオルで拭いてあげている。拭いてあげるでしょう。そうすると、拭き終わったら子どもは、部屋に入ってくるわけです、入って来て、ベビーベットの2階の高いほうに乗っかって、レゴブロックを子ども達三人ぐらいで廊下にむけて、ボンボコぶん投げている。保育者は子ども一人一人のプールからあがってきた髪を直すのに一生懸命だから、部屋の中でレゴブロックをぶつけまわっている子どもの姿に気が付かない。で、私は、後でその保育者になんと言ったかというと、あの状態じゃ、絶対お昼休みに午睡しません。遊びというのは、興奮してはしゃぎまわる事ではない。プールからあがってきてから、ブロックを投げてはしゃぎまわって、キャーキャー言って興奮しまくった子どもが寝ますか?寝ないんです、これは。だから、その保育者に何を言ったかというと生活リズムをきちっと整えてやらないと子どもは寝ませんよ、と。つまりその保育者は一人一人に丁寧にやっているのだけど、子ども達全員が集団生活のなかで自主的に自分の生活のリズムを作っていく指導ができていない。こういう保育を見て、その人たちが「お母さん達が生活習慣が出来ていない」と言っている・・・
今は、年々、親が子どもに過保護になっています。お母さんも過保護ならば保育者も過保護になっているわけです。そういう実態があります。そうすると、子育て支援というのは、子どもが自立しなければ、いくらお母さんが一時的に子どもを施設に預けても、やがて子どもは家に帰ってきます。世界のどこの国を探しても、家庭教育はいらないというような国はない。
唯一イスラエルのキブツや・・昔のソ連だって家庭教育は重視していた。イスラエルのキブツに私は行きました。6ヶ月から親子が別室です。親子が別々に生活する。完全に子どもが自立する。ところが、そういうシステムが最近壊れかかっている。理由はなにかというと、親が子どもをケアしたいと思っているわけです。
やはり家庭、地域の教育力というのは家庭教育力と地域の教育力、なおかつそのなかでの子どもの自立というものがあって初めて、両者が自立して初めて子育て支援というのはうまくいく。今、実態はどうなっているか、これまで幼稚園の教育は、集団生活の中での遊びというのは、子どもの自立を促してきた。私は幼稚園教育要領の副座長として、遊び中心の保育を言ってきた。しかしながら、残念ながら今、公立幼稚園でも、子どもの自立を促すような遊びの保育が十全にできているとは思わない。私はこれまでその努力をしてきたけれど、なかなかうまくいかない。その理由はなにかというと、例えば子どもと親が家庭でも保育所でも同じなのですが、子どもと向き合っちゃうということです。
向き合っちゃうとはどういう事かというと、学校教育は先生が≪こういうところに≫向き合って教育します。これは言葉の教育です。ところが、遊びというのは物を媒介にしている。例えば、製作物を作る。やりたいと思って製作物を作った子どもは絶対最後までやり遂げないと満足しません。途中でギブアップはだめです。子どもは、僕はこれを作りたいよと思って作り始めて最後までやらないと自分の物語が完成しない。これは自立です。子どもの。保育者がそういうところをきちっと見て、かなうところが子どもの遊びという。
小学校の教育と違って何が大事かというと、小学校は子どもにやる気があろうとなかろうと、授業が展開されます。幼稚園の中で、遊びが大事なのは子どもがやりたいという動機を尊重するという事です。一斉保育の授業では、これをやりなさいという。やりなさい教育の極地は大学まできて、学生たちがやる気を失っている。遊びというのは子どもがやる気を出すことです。どうしたら子どもがやる気を出すか?子どもがやる気を出すとき一番大事な役割は何かというと教育要領の中で私が入れた言葉、とても大事な一句は何かというと、二つです。一つは、大人がモデルになるということです。大人がモデルになる、そして、実際の環境の中で子どもが扱える道具や物が存在するという事です。この思想が現場に入ったら、子どもは自立するのです。ところが、入ってない、なかなか。例えば、私が現場に行って、保育をやるときにそれをやって見せるのですが、例えば、製作コーナーで物を使って作るとき、何か作っている、子どもが入ってくる、と、「あ、おはよう」と言っちゃう。こういうことをやったら駄目なんだ。私は、物を作っているのですから、そのときは子どもに愛想良くなんかしないんです。こっちに、集中しているから。子どもがやってきて、「先生、何作っているの?」「よくわかんないけどね・・・一生懸命やっているんだ。」と言ってちゃんと答えない。子どもは私のやっている物つくりに興味を持って、つまり憧れて・・・憧れるという事が大事な事なんです。憧れて、自分も近くから材料を出して動き出そうとする。それは、イチローを見て野球をやりたがる子どもと同じです。それで、自分でやりたがる。憧れで始める。ところが憧れで始まったものは、途中で、必ずうまく行かなくなる。夢だから。そこに、先生の援助が必要なんだよ。そこを、見極めて、援助する。この援助を今の親はおせっかいだからほとんど最後までやってしまう。
幼稚園の父親参観日になると、子どもと一緒に作業するのだけど、気が付いたら、ぜんぶお父さんがやっている。子どもにどけと言ってやっている・・・子どもがやるんです。援助というのは、助けてやっても最後はお前がやり遂げろ、これが大事な事なんです。アンタがやり遂げなさい。引かなきゃいけないの。子どもから引かなきゃいけないの。ところが、引けない親が圧倒的に多い。あるいは、先生も引けない。それが、親切だと思っている。後はやってごらん。やってごらんと言ってどこか、いなくなってしまう。それも駄目なんです。遠くでじっと見てなくては。もし、そこでギブアップするようだったらまた入らなければならない。こういう保育の考え方、子どもが自立するための努力をこれまで、公立幼稚園の園内研修で先生方にずっとやってきた。先生が一箇所に入って抜けなかったら、他の子の面倒みれないでしょう。援助してすっと抜けるから、他の子にも目が行く。保育と言うのはとても高度な技術を要するものです。ヤクルトの古田だよと言っているのよ。ピッチャーの球を見ていて、バッターのあれこれを調整して、いい球投げさせて、セカンドに走る選手を見ながら気が付いたら放るんですよ・・彼は頭の中に選手の事、ピッチャーの事、塁に出た敵の選手の事・・・このバッターの打つボールは、どういう方向に・・・こういう球だったらどういう方向に行くかを予測する。そして、こっちに動かせと言っている。これと同じ保育が必要なのです。こういう努力をして下さいという事を言っています。
例えば、私が、よくお母さん方に言います。「あなた方、ご主人と話をして相手の目を見つめて何分もつ?」って。長い事夫婦生活やっていると相手の目も見ないでしょう?「お帰り」(相手を見ないで)とか言っている。ところが、もしご夫婦が、お酒好きで、徳利を一本そこにおいて、スルメをおいて、お互いに呑みあったら30分から1時間持つ。いっぱいどうぞ、スルメでもつ・・ということは物があるから。お銚子があるから。だからいい関係が取れる。これが幼稚園の環境なんです。砂場がある、作る道具がある、そういう道具をきちんと用意しているのが公立幼稚園なんです。子どもが物つくりに入っていきなり、「出来た?」「何やってんの?」なんていう保育者はどじな保育者だと僕は思っている。今やっているんでしょう、見なさいよ、なにやっているかわかるでしょう。いちいち聞くなっていうの。子どもがやっている一生懸命さも分かるでしょう。
学校の先生のやっている、学校の先生と同じ、言葉で保育、教育しようとしようとしている親は絶えず声をかけてしまう。「やってる?」「何やってるの?」 ど素人ではないんだろうと言いたくなってしまう。だから、子どもが物とかかわっている時は、しっかり、子どもと物との格闘を見ながら、何時、子どもに入ったらいいか、何時、援助したらいいのか・・・それが自立への道なんです。この教育を、私は、現場で遊び保育として徹底して・・・
どういう風に部屋を・・部屋のど真ん中で作業やらせている・・何でど真ん中に机を置くのですか?喫茶店に入る時、あなた方、どこに座る?壁際に座るでしょう?安定できるからです。子ども達の遊び場所をどこに・・・子どもの居場所に、遊び場所を作りなさいよ。机の前や製作コーナーの横、遠い、はるか向こうのほうに材料の棚がある、なんということをやっているのですか?家庭ではお勝手という言葉があるでしょう。勝手がわかるという事があるでしょう。どこに何があるかがわかる、道具が置いてあるから、自分が出して使えるでしょう。なぜ、そういう環境を作らないのかと言っているのです。そういうことから始めていく。環境を作り、先生がモデルになる。モデルになるというのは、なんというか、保育というのは足し算だけではないよ、引き算だよといっています。足し算というのは子どもに絶えず物を言うお母さん。こうしなさい、ああしなさい、こういうのウザッタイ。引き算の保育をなぜやらない。子どもから,向こうから、お母さんが好きでやってくるのです。これが、お互いに豊かな関係をつくるでしょう。こういう関係を作る努力を幼稚園で私はやってきた。
今、幼保の一元化がやられているが、もともと、大正15年に幼保の一元化がありました。理由は、3歳から5歳までは保育所と幼稚園と区別してならないということでした。昭和20年にも、こういう会議がありました。ですから、理念としては3歳から5歳までの保育は幼稚園も保育所も基本的に同じであるべきだという理念は正しい。昭和38年には、保育所保育指針は幼稚園教育要領に準じるということで、その保育の中身を一緒にしようとする考えがあった。
ところが、現在の幼保の一元化はそういう子どもの生活実態を一緒にしよう、同じ土俵で子ども達の保育をしようという考えから出てきているのではない。財政的な理由です。財政的な理由でも良い、一応は。ただ、その理念と幼稚園でやられてきた保育の中身を一体化するということを、せめてする努力をしてほしい。財政側で。実は、幼稚園と保育所というものは100年の歴史があります。保育所はもともと、低所得者層のための施設として発展してきました。幼稚園の半日保育というのは家庭保育と連携してですから半日でした。ところがその理念は現場の子育て状況によってどんどん形が変わり、幼稚園は長時間保育をやるという風に形態が似てきた。
ただ問題は、私が武蔵野市の教育委員会で幼保の一元化、境幼稚園と境保育所の統一のための会議の議長をやって、その中で私が提言したのはなにかというと・・・同じ幼稚園と保育所は一体だと言っているのはお役所です。例えば、皆さんがた、一度結婚されて、一緒に暮らして、でも別居しようといって3年間別居した。と、もう一度、一緒にやり直そうといった時に、その夫婦が最初からスムーズに行きますか?
保育というのは保育者にとって日常的なことです。半日保育する幼稚園の先生方の職場感覚と保育所の1日中保育する職場感覚とは一緒になった時にすぐ、スムーズにやれると思いますか?こういう感覚がお役所にない。ですから、幼保の一元化の理念をそういう形で一体化するならば出来るだけ一元化をゆっくりと、中味の先生方がお互いを相互理解できるようにやってくれという風に私は言いました。そこの課長さんが、「現場の先生がちゃんとやってくれないから、我々が幼保の一元化を進めるしかないんだよ」と私に言いました。私はその時に、その課長さんを怒鳴りつけた。馬鹿いうなと。「今まで、幼稚園の先生と保育所の先生が一緒になって研究する全国の機関が、何があったのか言ってごらん」と。全国放送研究会だけは保育所の先生と幼稚園の先生と一緒です。それ以外に研究機関で幼稚園の先生と保育園の先生が共同でやったということはほとんどありません。個人参加は別として。
お役所がそういう手立てを講じてきたか。これまでに。幼保一元化するならば、まず、実際に現場で働く幼稚園の先生と保育所の先生が一緒に働けるような状況つくりをあなた方役所はこれまで研究や実践においてやってきましたか?やってないのにいきなりやれといったって、うまく行くわけないでしょ。そういうことについての配慮はしてきましたか?役所として。内側の保育者の状況が分からないから、例えば、泉保育園にしてもうちの学生が卒業論文でそこに入って実態が明らかになる。全く役所でいうと課が別のようになっている。子どもは一緒でも,課が別のようになっていて先生同士のコミュニケーションがない。今それを総合施設でやろうとしている。中味、理念は一体化だけど、建前は一体化だけど、本当の理念、3歳から5歳の子どもが同じ世界を生きているよ、そこを一緒にしようといったところのあわせをどうやってやるのですか?
もう一つ例を挙げますと、カリキュラムがあります。幼稚園の先生はしっかりとしたカリキュラムを書きます。字に書きます。こうやってこうやって。保育所の先生は、書けない。そうすると幼稚園の先生が保育所の先生は能力がないよととるんです。事情が違う。一日の長い生活のリズムをカリキュラムという風に呼ぶならば、一日の長い生活のリズムをたてる保育者はそんなに綿密な計画は立てられないのです、実感からいって・・・。幼稚園は短いからたてられる。どうやってこの二つの人たちを平等にあわせていくのですか?ですから、園外保育なんかも幼稚園の先生と保育所の先生は違います。これ、一般論ですが、例外もあるかもしれません。見ていると保育所の先生が園外保育に行く頻度が多くなります。日常的になります。そうすると年長さんの保育に限っていえば、保育所の先生の方がどちらかというと園外保育に行く時に楽しそうでないのです。交通事情が心配になるのです。幼稚園の先生は前もってしっかりと計画立てて・・回数が少ないから。万全を期していく場合には、多少、「あ、この花きれい」なんて言える余裕があるかもしれない。そういうところから、もう、違うんだよ。それをどうやってあわせて行くの。文化をあわせていくのです。幼保の一元化というのは。その幼稚園や保育所の生活を生きている人たちの生活実感に合わせなくては、子どもは安定しません。
遊びも違うんですよ。例えば、おかたづけをする。かたづけを見てますと、かたづけが嫌だよと言いだすのは5歳なんです、幼稚園の場合は。ところが、保育所は4歳で嫌になる。なぜ?・・毎日やる行為を子どもにやらせる時、かたづけというのは遊びと同じだから、楽しくやろうというようなことを言っても、どうしても、毎日の日常実感としては保育所の方がしょっちゅう子どもと向き合っているわけですから、そんなことやってられないよという意識になる。 と、口うるさくなる。お母さん方と一緒です。幼稚園の先生が子どもの立場に立って行動する、保育を一生懸命やっているけれど、自分がお母さんになった時にそれをやれるかというと、とても出きません。怒ってるちゅうに。そういう格差をきちっと見て、細やかに、ゆったりと幼保の一元化をやるのだったら、反対ではない。僕は。そういうことをきちんとやるのならば、それでもいいのです。ブルト-ザーで均すようにやられるから・・それ、中味分かっているのかと言いたくなる。
財政的な理由が緊急であるから・・・それは分かります。それを、きちんと地ならししていくのがお役所の仕事ではないのだろうかと私は思う。公立幼稚園の存続問題も同じ事です。公立幼稚園が生まれたのは、美濃部都政の時に膨大に子どもが増えたということで公立幼稚園を作りました。私立幼稚園からすれば、自由企業である我々の企業努力を抑圧するものだと。民営化の流れの中でいえば、公立の使命は終わりだよというようなことをおっしゃる。だけど、私に言わせれば、幼稚園が出している幼稚園教育要領の遊び中心の保育という理念を一体これまでどこが一番忠実にやってくれたかというと、一応、公立幼稚園です。理由は何かというと、私立幼稚園に対する、日常的な保育指導は役所からは入りません。私立幼稚園協会が講師を呼んで指導するという形になります。私もずっと全日私幼とか日私幼とかそういうところで、毎年講師をやっている。やっていて、非常に思うのは、私立幼稚園の研究会は季節ごとに行われるけれども、それは市場の研究会です。保育の実態から離れている。しかも、私立幼稚園は玉石混合です。電話かけて学生の就職をお願いすると、「私は文部省の教育要領に反対です」と言って、「それで私はやってきました」という園長さんもいらっしゃる。その自由も保障している。公立でもいろいろありますけれども、少なくとも、公立の場合は、教育委員会がこれに介在し、指導主事が公立幼稚園の指導に当たるわけです。ただし、この当たり方にも、不満がある。指導主事の中で一番若い高校出身の指導主事が幼稚園の担当になる。ある公立幼稚園の園長先生は「私、毎年困ってしまいます、指導主事にど素人が来るんだから。私が教育しなければならないのだから。一年経つとどこか行ってしまうよ。」こういう状態になる訳なんです。でも、一応教育委員会には、私が現場教育をやって、現場の指導にかかわると、一応私が行く以上は公開研究に必ず一回は来なくてはいけない、そういう形で教育しよう、園長も保育者も現場研修を通して自分の子どもに対する対応を磨こうとする姿勢がある。私立幼稚園もトップや組織全体としてはあるでしょう。だけど、建学の精神という建前がある以上は私立幼稚園の中味には入れない。私も、今、私立に2園行っています。名古屋と岐阜です。それは、園長が良い保育にしたいと思うからです。
ところが、文部省の教育要領の精神に全く反して、公然として・・・またそこを選んでくる親もいっぱいいる。最終的には親たちの意識の問題だと思わざるを得ない。横浜の例なんかはお受験幼稚園が並んで大変な競争率になっている。それが商売になるわけなんです。こういうお母さん方の意識がある限りは、私立もちゃんと生きていく、ということになります。公立はやっぱり駄目じゃないか、職員の給与、まあ、人件費が一番かかる、一番かかって、公立幼稚園は市民全体のものではない、一部の人のものである。そういうものが、なぜ、存続する意味がある?という風なせりふが出てくると、もう、公立幼稚園としては、立つ瀬がない。
ただ、私は、日本の教育、幼児教育の水準で考えると、ニュージーランドに行き、いろんな外国を見ていると、やはり、子どもを自立させていく、自立させるということは、緊急だと思っています。昔のお母さんがたがとっても愛情を注いだのにもかかわらず、昔の子ども達がより自立していたということは、どういうことかということを説明しますと、例えば、専業主婦の昔のお母さんはご飯を作る時に、亭主が帰って来た時に、飯でも出来てなかったら、亭主に怒鳴られるから,つくらにゃいかん。作る時に、私の小さいときには、薪をたいて、家事が1時間、2時間かかる。3品作るにも容易ではない。しかも、料理というのは同時進行です。味噌汁を作りながら、魚を焼くのです。ということは、どこか目を離したら、食えなくなってしまう。にもかかわらず、お母さんは、ここに子どもをおぶって、ここに子どもをはべらしている。物を扱いながら、子どもをみて、そして、触っちゃだめよとかいい子だねとかやっている。こういうことを昔の母親はやったわけです。ということは、子どもは、そこで、そのシステムのなかで自立させられるわけです。親の事を見て我慢しなければならない。今は何もいらなくなった。お母さんは作らなくていい。お惣菜買ってくればいい。そうなるとまさに、お母さんは、夫がいなくなると教育者のみで子どもと関わろうとする。駄目よ。ところがこの言葉で教育するというのは続かない。本人自体、精神衛生がおかしくなる。言うこと聞かないと・・・そこで最後はテレビに任せる。すると、もう耐えられない。という事で子育て支援にお願いしますという形になる。
一体、日本の未来の子どもを自立させるためにはどうしたらいいのか?このテーマが今の子育て支援から完全に抜け落ちている。私はとても今の日本の教育状況に危惧を感じております。物が無くなっている。子どもの周りから・・・子どもが自分で扱う物が無くなっている。兄弟も少なくなり人間の関係も無くなっている。そういうなかでどうしたら子どもの自立の道を探り、親の精神衛生を良くし、なおかつ子どもも自立する道を探さなければいかん。今は、公立幼稚園は子どもの自立と言っているけれど、私立はそうは言っていない。とにかく、集めて言うこと聞かせればいいんですから。私立も廻りました。良いところもあります。ところが、園バスで来ますよね、園バスで来て、そして来る間子どもたちがまさに放任状態です。10時半ごろまでは、9時から来ても子どもは、最初来た子は部屋の中でうろうろしている。10時半までほったらかしているのだから・・・10時半に、先生が、集まったとたんに一斉活動が始まるわけです。するとお弁当です。お弁当のあとは一種の放牧状態が始まる。で、またバスに乗るわけです。日本人が一人になったら弱いよ、一人になったら自分でちゃんと行動できない、集団主義だといわれている理由は・・・自分の身辺自立を自分でやっていく、そういう習慣をどうやって、どこで作るかという事についてのベースが今、いろんなところで失われている。
やはりそういう点で、この間ある地区の園内研修に行きました。そうしたら障害のお子さんがいて、その後ろから保育者がついて来る。この子は障害を持っているから周りの秩序を乱すだろうと考えている・・・駄目よ、それは駄目、後ろにくっついて、まさに後ろから介護士みたいに監視がくっついて子どもが行動しているわけです。それを見て私は非常に疑問を持った。それで、私に貸してくれって、その子を。先生(保育士)はそっちに行ってくれって。私はその子を自由にした。自由にしたら子どもは走り出した。私も一緒に駈けた。そうすると園庭の端の垣根のところまで行った。それからまたそういう事をして、繰り返している。実は、障害の子どもはでたらめな行動をするというのは一種の偏見であって、彼はある種のパターン行動をとる訳です。それで、私は、一緒に子どもとニコニコしながら走り回る。それである機会にボールが来たので、子どもの方にスーッとやったら子どもは受け止めた・・向こうからこう来た・・これをやった、そうしたら応答関係が成立した、言葉がなくても。子どもの表情が変わってくるんです・・あとで、終わった時に・・・。ここは公立ですからね、公立もこういう学校があるっていうこと・・。その先生に、子どもをしっかりみると子どもと同調する、そういう事をやるべきだって言いました。そしたら私が帰る時にその先生は玄関に挨拶に出て来なかったのです。わかります?頭にきているわけですよ、文句言われたから。こういう園もあります。
年をとればとるほど、自分の、子どもとの関係を見直そうとする意識の少ない保育者も多くなります。お母さんがちょうど自分の子育てを信じて疑わないのと同じ事、自分を振り返る事がない。そういう状態を見ていると、出来るだけ早くから、保育者は子どもをしっかり見て、子どものメッセージを受け止めるという習慣をつけないと。子どもにやたらに、私が子どもの助っ人だよと、介入するのではなくて、これは自分でやらせる。
こういう例があります。一つ例を出すとある幼稚園に行った時に、ある子が着脱衣が出来ない、一人だけ廊下にいる。先生が「集まって、みんな集まって」、その子は来ない。その子が来ないから先生が出て行って、その子の前に行って、「みんな集まったよ」と言って、その着脱衣のボタンを着けてやって部屋の中に連れてくる。そうすると、お母さんが待っている時間に間に合う。これはほとんど保育者としては当然の行為であって、誰も疑問を持たない。でも私は疑問を持つわけですよ。その子の着脱衣の習慣、着脱衣を自分で形成する努力を先生はどうやってみるのですか?集団の為につれて来ているだけですよ。ボタンというのはここにいくつかあるでしょう?園服を脱いだりする時に一番難しいのは、どこですか?首の下です、ここ。ここが一番難しい。そうしたら先生がそこに行って、「ここ留めてあげるからね、あとは、下、やってごらん、自分で。」あるいは「最初ここ留めてあげるから、最後のここだけ留めてね。」という風にやっていけば、徐々に自分でここまでいく。それを見定めて援助するのと、みんなが集まったからこっちにおいでと引っ張ってくるのとは、全然違う。そういうところをきちんとやるということ・・私たちが、研究者も含めて、保育者のそういう動きをしっかり見ていて、そして援助する必要があります。
そういう援助について、これまでどれだけ細やかな指導と援助が入っていたかというと、少なくともそれは保育所よりも幼稚園のほうが努力はされてきた。成果は別として、されてきた。そういう体制を公立幼稚園が維持して来たと私は思う。現場で指導するという事です。一番問題なのはそういう優れた保育者を養成するという事。プロとして。
こういう問題が看護婦さんにもあります。今、病院保育士というのが入っています。なぜ病院保育士が入っているのかというと、看護婦さんの仕事はもともと、ナイチンゲールの精神にあったように、一人一人の病人の心のケアや身体のケアをして     とは別にその人が社会復帰を、自立した社会復帰をするような援助をする事が看護婦の仕事です。看護婦という仕事は、発達的になっている。小児看護、成人看護となっている。ところが医学は、どんどん科学技術が進んできて、解剖学的な分類に従って医学が分かれてきます。そうすると看護婦さんは、お医者さんの助っ人という形で、補助という形で入っていますから、日本の看護婦さんは、どんどんどんどんお医者さんの技術援助みたいに入っている。そうすると、患者さん一人一人に声をかける事がだんだん無くなってくる。この間もある病院で看護婦さんが(子どもを)あやしている・・子どもが言う事を聞かない時にあやすことが必要だっていうのに対して、やっぱり看護婦というのは技術だから、腕だからね、あやすよりちゃんと注射するほうが先だよ、こういう意見があったというのです。
それを聞いた時にびっくりしたのは・・・やっぱり実はもともと、病院保育者が入った時に・・看護婦さんの誰さん元気?ああ今日はいい顔してるわね、という延長線上に、保育士が入ってくると子どもの心のケアになってくる。それがアメリカなんかでは何か別にチャイルドケア・・・特別な職業が分化して出てきているのと同じように、近代というのは、そのカウンセラーとか特別な職業が出てくるんですが。
問題なのは、一つの職業の中で、子どもに対していかに総合的に重なり合う援助が出来るかという事なのです。そういう状態の中で、これからもしも施設を一体化するならば、どうしたら保育所と幼稚園の仕事の中身を、共通性を豊かにしていくかという事なのです。≪そうすると、保育園の実践がお互いいにどう実践をやるかというと、同じようなものになる。そういうことなんですね。≫そういう状態の中で、今、公立幼稚園でこれまで積み重なってきた研修とか、保育者の力量を保持していく、その為にこれまで積み重なってきた実績を、次の世代にどうつないでいくかを考えないで、施設の入れ物を入れ替えたりするという事だけで、日本の子どもの豊かな育ちを出来るのだろうかという事を大変私は危惧している。そういう面での議論を、もっと緻密な議論を、特に政治家の方にお願いしたい。
実際に現場に来て、私の話を聞いたらわかります。これを見たら・・私は25年間現場に入っていますから。その前に子育てに7年やりました。その後7年間、私は、私の両親の痴呆老人のケアをやっています。私は理屈でものを言っていない。理屈も言いますけど。現場を通して私が感じたものは、今、子どもの自立がはかられない。非常に危機が出てきている。フランスの保育者はじいっと子どもを見ています。じいっと見ていて、そこで必要な時に入る。日本の保育者は、「ああ駄目よ」、って入っちゃう。こういうところに、子どもをしっかり見て、子どもの人格や自立をしっかり見届けていき、必要な援助は何かと考えていく体制を確立する事が、今なによりも急務であって、そのために幼稚園と保育園が一体化することが、そういった議論が出てくるのであれば、私はもろ手を挙げて賛成する。そういうものが空洞化している為に、中身がない為に、心配している。そういうことであります。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

September 07, 2005

世田谷区に、区立旭・羽根木幼稚園の募集を再開するように申し入れをしました。

 世田谷区は、平成17年9月1日付の区報「せたがや」に、平成18年度、区立幼稚園新入園児募集について『区立旭・羽根木幼稚園の2園は、19年度から幼稚園と保育園の機能を一体化した「新しい総合施設」へ転換する予定のため、新入園児募集は行ないません』と掲載しました。(詳しい内容は9月1日付の区報にて、ご確認ください。)

 当hpの8月30日報でも、お知らせしたとおり、世田谷区主宰の区立旭・羽根木幼稚園廃園・用途転換後の幼稚園と保育園の機能を一体化した「新しい総合施設」構想案検討のための意見交換会では、いまだに慎重な意見が出され、尚且つ国の補助金制度についての方針も示されておらず、世田谷区は新総合施設について幼児教育理念を含む細かい内容を決めることができないのが現状です。そのため、19年度の早い時期に新総合施設を開設することは難しい状況と思われます。区立幼稚園の存続を願う父母の会(以下存続の会)では、平成17年8月30日に区立旭・羽根木両幼稚園の18年度入園募集停止の区報掲載を中止するように申入れました。
 しかし、9月1日の区報「せたがや」では、両園の募集停止記事が掲載されました。これを受け、存続の会では、平成17年9月6日、熊本哲之区長に旭・羽根木幼稚園の入園募集を再開し、区報に募集再開記事を掲載するように申し入れをいたしました。この日は、区長室・山下氏に、申し入れを熊本哲之区長にお渡しくださいと、存続の会・西山代表世話人代行が伺いました。
また、申し入れ書のコピーを子ども部田中茂部長、教育委員会事務局幼稚園担当・小湊係長にお渡しました。
以下申し入れ書の内容です。

世田谷区長 熊本哲之様          平成17年9月6日
                区立幼稚園の存続を願う父母の会
                 代表世話人代行 西山夕紀子                         

区立旭・羽根木両幼稚園の平成18年度新入園児募集をただちに再開し、募集再開記事を区報に掲載するよう求めます
 
 世田谷区は、平成17年9月1日付の区報「せたがや」で、平成18年度、区立幼稚園新入園児募集について『区立旭・羽根木幼稚園の2園は、19年度から幼稚園と保育園の機能を一体化した「新しい総合施設」へ転換する予定のため、新入園児募集は行ないません』と掲載しました。
 しかし、平成18年度に区立旭・羽根木幼稚園に入園希望をしていた多くの家庭では、入園先を見つけるのに苦労している現状です。近隣私立園にとっても教員や施設面のことも考えれば、一時的な二年保育の増員や障がい児の受け入れは簡単ではなく、希望に沿いたくても受け入れられないというのが実情かと思います。私たちはこの事態を想定し、区立園の存続とともに、平成15年8月以来、私立園での2年保育の受け入れ枠の確立と障がい児の受け入れを区から働きかけてくださるようお願いして参りました。けれども、現状ではどちらも受け入れは難しく、実際、平成18年度区立園の入園状況をみても、障がい児の入園は各園増えています。
また、平成16年12月から、有識者、私立幼稚園・保育園関係者、区立幼稚園・保育園関係者、行政職員などを構成メンバーとして、区立旭・羽根木幼稚園を廃園用途転換後の「新しい総合施設」構想案検討のための意見交換会を開催していますが、初回から始まり、今までにいたるまで建設的な議論の進展はみられません。7回の開催にもかかわらず、新型施設の構想がみなの合意を得られる方向で着実に肉付けされているとはいえない状況です。それどころか、≪区立幼稚園の存廃を含む検証を求める意見≫が引き続き随所に見受けられ、議論は、まだまだ区立園の廃止の是非を問うことから始まり、入り口付近で膠着しているように思われます。
区立園廃園・用途転換に関し、いまだ、慎重な意見が多く、議論が一致した方向性を見出せない状況であり、19年4月以降の早い時期の開設は難しいという声も聞かれます。
尚且つ、国の補助金制度の方針もいまだだされておりません。そのような、状況である中、旭・羽根木幼稚園の新総合施設への転換・新入園児募集打ち切りについて大々的に区報記載してしまったことを、大変、残念に思います。

◆旭・羽根木幼稚園の新入園児募集を直ちに再開し、区報「せたがや」に入園募集再開記事を掲載するよう求めます。

◆世田谷区主催・区立旭・羽根木幼稚園廃園・用途転換後の「新しい総合施設」構想案のための意見交換会の機能、役割を再検討し、議題の設定にはじまり議論の実情にあわせ、区立幼稚園の存廃の是非や幼児教育の理念についても時間をかけ、話し合えるような場へと意見交換会をグレードアップさせることを要望します。
                                      以 上

 

| | Comments (3) | TrackBack (0)

September 01, 2005

区立旭・羽根木幼稚園募集停止の区報掲載中止を申し立てしました

 毎年、9月1日付区報「せたがや」に区立幼稚園の新入園児募集案内が掲載されます。
平成17年8月29日、教育委員会事務局・幼稚園担当小湊係長に、平成17年9月1日の区報では、区立旭・羽根木幼稚園は「新しい総合施設」へ転換するため、募集が行なわれないことを掲載する予定であると確認いたしました。(今日9月1日付の区報にて、詳しい内容はご確認ください。)
 世田谷区主宰の区立旭・羽根木幼稚園廃園・用途転換後の幼稚園と保育園の機能を一体化した「新しい総合施設」構想案検討のための意見交換会では、いまだに慎重な意見が出され、尚且つ国の補助金制度についての方針も示されていません。
そのため、世田谷区は新総合施設について幼児教育理念を含む細かい内容を決めることもできずにいる現状では、19年度の早い時期に新総合施設を開設することは難しい状況と思われます。
 
 区立幼稚園の存続を願う父母の会(以下存続の会)では、平成17年8月30日、2園の募集停止の区報掲載について記載しないよう、世田谷区長に申し立てをしました。この日は、区長室・長谷川氏に、この申し入れを熊本哲之区長にお渡しくださいと、存続の会・西山代表世話人代行が伺いました。
また、申し入れ書のコピーを子ども部田中茂部長、教育委員会事務局幼稚園担当・小湊係長にお渡しました。
以下申し立ての内容です。

世田谷区長 熊本哲之様                 平成17年8月30日
                        区立幼稚園の存続を願う父母の会
                          代表世話人代行 西山夕紀子                               

区立羽根木、旭両幼稚園の平成18年度新入園児募集打ち切りの区報掲載を中止するよう求めます
 世田谷区は、平成16年7月、区立羽根木、旭幼稚園に対し十分な地元合意をえないまま、廃園後に幼稚園と保育園の機能を一体化した新しい総合施設への転換をする方針を打ち出しました。そして平成18年度、区立幼稚園新入園児募集について平成16年9月1日付の区報「せたがや」に区立羽根木、旭幼稚園は募集しない予定と掲載しました。
 その後、平成16年12月から、有識者、私立幼稚園・保育園関係者、区立幼稚園・保育園関係者、行政職員などを構成メンバーとして、区立羽根木・旭幼稚園を廃園後の新しい総合施設構想案検討のための意見交換会を7回開催していますが、区立園廃園・用途転換に関し、いまだに慎重な意見がだされており、議論が一致した方向性を見出せない状況です。また、現在行われている意見交換会では不十分であるとの声も聞かれます。このままでは、平成19年度の早い時期に新しい総合施設を開設することは難しいのではないでしょうか。 
 私たち保護者・区民は、熊本区長が平成15年6月の区議会で区立幼稚園の廃園方針を表明して以来、保護者、関係者、識者らで構成するゼロベースからの「協議機関」の設置を一貫して求めてきました。世田谷区はこうした要望に応えないまま、現在に至っています。

 羽根木、旭を含む世田谷区立幼稚園の各園は、いずれも、ベテランの先生方が繰り広げる伸び伸びとした自由保育、障がいのあるお子さんをしっかりケアする充実した障がい児教育などの面で高い評価を得ています。そして都会では失われがちな貴重なコミュニケーションの場として、それぞれの地域にしっかり根をおろしています。私立幼稚園や保育園との役割分担も出来ており、急な区立幼稚園の募集停止には地域の幼稚園・保育園の一時的な園児定員数増加や職員数増加など、経営体制にも影響があると考えられています。地元、そして世田谷区にとって財産である区立幼稚園の運営見直しと募集停止には、十分な時間と、徹底した議論を重ねていくことが必要です。
 私たちは子どもたちの視点、地域の視点に立ち、熊本区長に以下の点を申し入れます。

◆世田谷区は、平成17年9月1日付の区報「せたがや」に、区立旭・羽根木幼稚園は、19年度から新しい形の総合施設」へ転換する予定のため、平成18年度新入園児募集を行わない方針を掲載すると聞きました。
区立旭・羽根木両幼稚園を対象とした平成18年度新入園児募集打ち切りの区報掲載を中止するよう強く申し入れます。        以  上


| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 27, 2005

存続の会通信6号を発行いたしました!!

存続の会通信6号を発行いたしました。「6.doc」をダウンロード

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 14, 2005

教育委員会事務局との懇談会報告・第1弾!!

 区長は“協議機関の設置も含め
検討させる“と言っているのに
協議機関について
教育委員会事務局は
議論すらしていない

 当ホームページ上でお伝えしましたように、教育委員会と存続の会との懇談会が7月8日、予定通りおこなわれました。 懇談会のメンバーは、教育委員会事務局から庄司次長、菅井課長、小湊係長、子ども部田中部長、霧生課長、中村課長といった方々、私たちの会からは20名ほどの参加、時間も限られていましたので質問形式にて懇談をおこないました。先日お出しした懇談会へのお誘いをごらんになって、参加いただいた方もいらっしゃいました。この場をお借りして、お礼申し上げます。
 テープおこし作業がまだできておりませんので、若干言葉使い等、実際と異なることがあると思います。その点、お含みおき下さい。後日、詳しい内容をご報告いたします。

①運営について
・民設民営
・区立の入る余地はないということ
・区の土地のうえに、区の建物を整備して、私立の幼稚園でやってもらう
・料金は2時までの時間帯までに関しては私立幼稚園並の料金、25000円くらいの数字になるであろう。その後、延長保育は別途加算になるであろう
・低料金では民業圧迫になるということ
(保育料に関し、私立園なみといった表現が出たり、実際の金額にも話が及びました。また、民間活力の活用という曖昧な表現から民設民営とはっきり説明されました。)

②区の関与について
・区はコントロールの目を利かせるという役割

③なぜ、区立でやらないかということについて
・財政上の問題 運営経費 人件費等
・区立でやるより民間のほうが、厚労省と文科省等の規制がからまなくてやりやすい
 (区立園存廃問題に関し、区が財政上の問題をまず一番に挙げたのも初めてでした。いままでは、幼児教育全体の底上げのためという説明でした。)

④先生がたの処遇
・区の優秀な人材なので活用するように考える。(育児相談・教員の育成研修を私立園等に向けて発信する。私立の先生方が研修に参加するかどうかは別問題である。)
・このことに関し、活用でははっきりわからないので、懇談会後田中部長に再度、確認したところ、民間の施設の職員の採用に区が関与することはよくないことではないかという返事。つまり、今の先生を新型施設で採用するように区が指図することはできない。

⑤意見交換会の意見は逐一区長に報告ではなく、必要な時に報告

⑥協議機関
 区立幼稚園の存続、廃園を含めた協議機関については議論すらしていない。
 協議機関についてのP連、存続の会からの要望に正式な返事を貰っていないという質問には、懇談会開始早々には対処しているという返事があったが、その後のやり取りのなかで、協議機関については、議論にもなっていないということが判った。要望という形では効力をもち得ていないということが判った。

 以上懇談会でのやり取りの一部です。また、7月21日、22日に区議会 文教、福祉保健委員会においてその他の報告事項もあるそうです。

 意見交換会、協議機関という問題は私たちの乗り越えなければならないひとつの課題ではありますが、6月開催の意見交換会のおもな意見の中に、≪そもそも、区立幼稚園の廃園を考え直すことはありえないのか≫いう一行を見つけることができました。
初回の議事録のなかから、幼保の施設を一体化するスケールメリットは世田谷には当てはまらない、民間施設でやることの弊害などの意見を見つけ、新型施設の構想案という制約のなかでさえ、このようなことを語ってくれる有識者がおられるのだと感動したのですが、ここまで来て、まだ、識者の中からも≪区立幼稚園の存廃を含む検証を求める意見≫が出るということ、さらにまた、区立幼稚園が総合施設化されれば、今までの私立幼稚園、区立幼稚園のすみ分けのバランスが崩れる、まずは子どもの育ちというソフト面を重点的に考えたうえで、ハード面を整えていくべきではないか等の意見があがっています。毎回の意見交換会のまとめの中に、そのような意見を見いだすにつけ、このように、議論が堂堂巡りしていることを見るにつけ、そして、この貴重な意見が、構想案に反映される余地がないのを考えるにつけ、やはり、区立幼稚園廃園後の新型総合施設についての構想案作成という命題の出しかたそのものに問題があるのではないかという考えに至ります。
 どうか、区立幼稚園の今後を考える協議の場、対話の場の設置の必要性に、ご理解いただけますようお願い申し上げます。
     

| | Comments (1) | TrackBack (0)

July 07, 2005

世田谷区主催・6回目の意見交換会 急遽開催!!

 世幼P連・存続の会に
再度出席を要請していた
新しい「総合施設」基本構想検討のための
意見交換会を急遽開催!!

 7月1日、教育委員会事務局幼稚園担当・小湊係長は、区立幼稚園の存続を願う父母の会 代表世話人代行・西山夕紀子の問い合わせに以下のように答えました。
 世田谷区教育委員会事務局と子ども部が「幼稚園と保育園の機能を一体化した「総合施設」基本構想検討のための6回目の意見交換会を、急遽7月7日(木)午後6時から8時まで、区役所第2庁舎にて行います。
急遽、日程が決まった理由として、今まで意見交換会の構成員として出席されていた、学識経験者の池本美香氏がご都合のため今後、意見交換会への出席が難しくなりました。
変わって学識経験者として中教審幼児教育部会の副委員長 無藤隆氏が出席することになりましたと、小湊係長より説明がありました。
また、8月以降は意見交換会をおこなうかどうかは未定とのことです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 06, 2005

教育委員会と存続の会の懇談会を開催決定!!意見大募集!!

 私達は、区立幼稚園の存続を願うという基本方針のもとに、区立幼稚園の今後を行政の方々はじめ、多くの有識者、保護者、地域の方々などで考える協議機関の設置を求め活動中です。また、区立幼稚園の良さを多くの方々にしっていただくための活動や、第2回目の区長との直接対話を求めております。そうした活動の中で、5回の教育委員会との懇談の場を設けてきました。

 さて、このたび第6回目の教育委員会と区立幼稚園の存続を願う父母の会との懇談会の日程が決まりましたのでお知らせいたします。
 
 皆様の中に、区立幼稚園の存続を願う父母の会の直接のメンバ―でなくても、私たちの活動にご賛同いただき、区立幼稚園の存続、および、区立園の廃園や民間新型幼保園へ用途転換について、またそのやり方等についてご意見や疑問を募集しております。当hpのプロフィールのメール連絡先まで送ってください。

 懇談会では発言の規制もありません。直接、ご自身の想いを教育委員会の方々に聞いてもらう大切な機会です。
ただし、時間が短いため、すべてを質問できない場合もありますので、ご了承ください。

※ 日時  7月8日(金) 10時半より12時
※ 場所  世田谷区役所内

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«区立・私立保育園、幼稚園保護者が参加しなかった『意見交換会』への参加を教育委員会事務局、再要請!!