閉会のご挨拶、そして、私たちの活動の軌跡
はじめに
カレンダーがめくられ、3月、平成17年度が終わろうとしています。
私たち区立幼稚園の存続を願う父母の会(以下存続の会)は、誰にでも開かれた幼稚園、健常な子も障がいをもつ子もあたりまえに育ちあえるノーマライゼーションを実現している幼稚園、遊びという実体験の中での育ちという方針を守り続けている幼稚園、より良い幼児教育を伝承し、研修を積んだ先生方の援助のもと、ひとりひとりの子どもが自立へのハードルとして挫折を乗り越えたくましく育っている幼稚園、早期教育にも特定の宗教にかたよらず、知、心、体の調和のとれた教育を繰り広げている幼稚園、地域との関わりを大切にする幼稚園、この区立幼稚園を区民の財産と考え、その存続と充実を求め、またこの保育内容をこそ幼稚園教育のモデルとして区に率先して発展させていただきたいとお願いしてまいりました。
昨年の9月、存続の会通信7号をお届けしてから数ヶ月がたちました。当時、存続の会では、協議機関の設置を訴えるべく再度の陳情を考えていました。また、その実現に向け全会派の議員折衝、世幼P連への働きかけ、マスコミへのアプローチ等をおこなってきましたが、このたび、諸般の事情により陳情書の提出を断念、そして、存続の会の解散やむなしの状況となりました。
区立旭幼稚園、羽根木幼稚園での18年度募集の再開はならず、この4月からの年長のみの単学級での1年間をもって両園は区立幼稚園の歴史を終えようとしています。現在でもプロポーザルによる民間業者の選定もいまだされていない状態で、計画自体は決して当初の予定通りというわけでは無いように思われますが、2園の廃園および、かなり保育園ににかよった民間施設の開設という結論だけが動かしがたいものとしてそこにあるように思われます。
最後まで、旭、羽根木幼稚園での募集を待っていた方々、障がいを持ったお子さん方もいらっしゃいました。遠く他の区立園を頼った方、また、やむなく近隣私立園に入園を決められた方、また、どうしても近隣の他園を子どもの入園先として選べずに仕方なく自主保育での道を選んだ方もいらっしゃいます。この時期に我が子の入園時期をむかえられていた方々にとって、その選択はかなり苦しいものであったと察し、会として2園の存続に力およばなかったことを本当に悲しく思います。
今回の通信ではその経緯をお伝えし、ご理解いただくと同時に、平成15年8月の発足以来2年半、活動に協力くださったみなさまそして、保護者のみなさまにお礼申し上げたいと思います。
おねがい
存続の会の活動の様子を伝えるうえで、この活動自体が行政のやり方に異を唱えるものであった性質上、決して全てが耳触りの良いものではないかもしれませんが、第2、第3の旭、羽根木を作らないためにも、みなさんにこの経過を知っていただき、関係する方々の脳裏に少しでも残り、それぞれの心の中に残る課題としてこの問題を今後も考え続けていっていただきたいと願っています。
下馬幼稚園を守る会の活動が残した課題
閉会にあたり、あえて世田谷区立下馬幼稚園の存続活動について少し触れさせて頂きます。
下馬幼稚園の廃園問題を深く知っている方は在園のみなさんの中では少ないのではないでしょうか。今から10年程前に下馬幼稚園の廃園問題がありました。下馬幼稚園を守る会の活動報告書をみると、平成8年に下馬幼稚園へ教育委員会学務課から「平成10年度の園児募集中止及び区立旭幼稚園との統廃合」の突然の通達がありました。下馬幼稚園を守る会の活動報告をみると、当時充足率も9割前後と高く、統廃合などは予想もしていない状況、現在ある需要を断ち切ってまでの非民主的で一方的な募集中止通達に納得できず「守る会」を発足したと書いてあります。
活動報告を読むうちに、当時活動に携わった方々の気持ちと私たちの気持ちがぴったり重なっていること、また、当時残された課題が残念ながら今回も乗り越えられずに残ってしまったことを再認識しました。そして、10年前の下馬、また今回の、旭、羽根木の存続活動での経験、課題は残る9園の将来のためにも伝えていくべきだと感じました。私たちの活動内容をお伝えする前に以下に前置きとして、下馬幼稚園存続活動での 問題意識、区議会への課題、そして、世幼P連としての課題を紹介させていただきます。
私たちの活動の原動力が延べ9万もの賛同の署名であったこと、そのような保護者の熱い気持ちこそが行政や、議会に対するある程度の抑止力になったこと、そして、それをどう維持し展開していけばよいかという問題は未来に残された大きな課題だと考えます。みなさんにできる限りの真実をお伝えし、その端々が誰かの心の中に置き火となって残り、区立幼稚園の存続の一助になればと願っています。
「下馬幼稚園を守る会」平成11年 活動報告より抜粋
※ 問題意識
行政側の、園児、保護者、これから入園を希望する子ども達といった当事者を無視したやり方を通したならば、下馬幼稚園に限らず他の区立幼稚園にも統廃合の嵐は必ず波及していくだろうという危機感を強く覚えました。
※区議会への課題
区議会に対しても私たち保護者がどういう要望を持っているのかをきちんと示さなければいけないという必要性を感じましたし、逆にいえば、私たちの要望が反映されるような区議会であるべきだと思いました。
※世幼P連としての課題
「世幼P連の存在意義は一体どこにあるのだろうか?」との疑問が各役員、委員そして各園の会長の間から聞こえてきました。1園が廃園にされそうになっている時に12園がいっせいに反対の声をあげ、守るための運動をすることは世幼P連として当然の行動ではないでしょうか?P連メンバーとして無力感を感じた人もあったようでした。・・・・・・・・・
将来他の区立園が廃園に追い込まれた際に世幼P連として何が出来るかは今後の課題となるでしょう。
存続の会閉会
存続の会は今年1月26日、世話人会を開き、今年度をもって同会を解散する方針を決定しました。最大の理由は、『区立幼稚園全保護者が会員となる団体「世田谷区立幼稚園PTA連絡協議会(以下世幼P連)」が区の廃園計画に基づく意見交換会出席を受け入れる方針を決めた以上、今まで存続の会が活動目標としてきた区立幼稚園の存続要求は、もはや区立幼稚園保護者の総意とは言えなくなってしまった』と最終判断したためです。もちろん、世幼P連の中にあって下馬幼稚園の廃園時に当時の委員が感じたのと同じようなジレンマを感じ、その中で悩まれた方がいらっしゃるということは想像に難くありません。しかし、同時に、世幼P連が世田谷区立幼稚園の保護者にとって唯一の正規の保護者団体であることにも間違いはありません。私たちの会はあくまでも、圧倒的多数の保護者、そしてその代表である世幼P連が区の廃園計画の不透明さに疑問を感じ、不信感を抱いていることを前提に存在しうる団体でした。
保護者団体としての世幼P連が意見交換会に出席、新型施設開設のためへの始動をはじめた以上、今まで存続の会が活動目標としてきた協議機関の設置も区立幼稚園の存続要求も、もはや「保護者の総意」として行政へ届けることは困難であると思い、会としての活動の継続は不可能と判断いたしました。
存続の会、発足の経緯
平成15年、熊本哲之区長の区立幼稚園全園廃園発言に反発した当時の世幼P連は、「世田谷区民にとってかけがえのない区立幼稚園をなぜ潰さなくてはならないのか、すべての家庭に門戸を開く区立園は不可欠だ」との強い思いから、区長に質問状を提出。同時に緊急に各園PTA役員有志を招集し、「意思決定プロセスが煩雑な世幼P連より、機動力のある任意団体に活動を委ねた方がスムーズに進む」と考え、存続の想いを実際の行動に移すため、「PTAの補完団体」として、その年の7月に存続の会を発足させました。このように、存続の会は、世幼P連役員会の発案により、世幼P連役員らの全面的なバックアップの約束のもと、誕生したのです。実際、存続の会初期メンバーには世幼P連委員、各園PTA会長も多数加わり、世幼P連の活動と存続の会の活動は矛盾することなく、進められていました。しかし、世幼P連活動は1年単位ですし、幼稚園の在園は2年間です。さまざまな場面で引継ぎや、継続性にまつわる問題は生じてきます。現世幼P連委員の方々にはこの発端は預かり知らぬこととは思いますが、存続の会と世幼P連のあるべき連携を願って活動した存続の会として、発足の経緯を書き加えさせていただきました。下馬幼稚園を守る会の活動以来、そして、今回の活動を通し、更に将来へつながる課題になることかと思います。
存続の会の成果
★署名、陳情
この2年半で存続の会は幼稚園の今後を考える協議の場への住民参加を求め、署名運動を展開し、のべ9万人近くもの署名を集め区議会に陳情書を提出。同時に教育委員会、文教委員会の場で陳情内容の趣旨説明をおこない、区立幼稚園存続を願う保護者の声を区議会また教育委員会、そして行政へと最大限に伝えるべく積極的な活動を続けてきました。
★講演会活動
講演会活動として、区立幼稚園の存在意義をテーマに平成15年秋、東京大学院・佐藤学教授を招き、また翌16年秋には日本女子大学・小川博久教授(日本保育学会会長)を招き講演会を開催。講演会には、一般の聴講者のほか、世田谷区議会のほぼ全会派の区議が出席し、幼児教育の重要性を再認識する場となりました。
★全園廃園の公約撤回
こうした活動で、区長の区立園全園廃園の公約は撤回されました。
★区長対話
また、再三の要求の末、他団体に先駆け平成16年11月には、区長対話も実現。その対話の中で、幼稚園担当事務局と区長の間には情報の共有がなされていないことがわかりました。保護者の大きな反発の中で紛糾した旭、羽根木幼稚園廃園、用途転換についての保護者説明会についても、事務局からは「保護者の大方の了承を得られた」と報告されていたという区長の言葉に、対話の席についていた保護者は大きくどよめき驚きましたが、そのような状況であったからこそ、区長との直接対話は私たちの生の声を届けるという意味で貴重な場であったと感じています。
旭幼稚園、羽根木幼稚園の廃園、用途転換方針発表
そうした中で区側は、保護者が存続の会設立当初からずっと求め続けてきた、区立幼稚園の今後に関わる「協議機関」の設置要求を聞き入れず、平成16年7月一方的に区立旭幼稚園、羽根木幼稚園の廃園計画を公表。保護者側は「存続の会」の名前で抗議の意思を表し、大変緊張した状況が生じました。
*存続の会が求めた「協議機関」とは、区立幼稚園の今日的価値の検証からはじまり、区立幼稚園の存続、廃園も含め、広く民主的に意見を収集し建設的な議論をし、区長への答申など、区政への議論の確実な反映を期待しうる話し合いの場です。
意見交換会 VS 協議機関
また、区は保護者が訴えていた「協議機関」の代わりに、両幼稚園の廃園後に建設する「新しい形の総合施設」のあり方だけをテーマにする「意見交換会」という名目だけの会を、平成16年12月以降数回開催することを決め、存続の会と世幼P連の両者にその場に出席するよう要請。この際、区側は「意見交換会では廃園問題は議題にしない」と通告してきた為、当時の保護者は、保護者の意見も汲みいれたという体裁をとるためだけに意見交換会を開催しようとする区側の姿勢に強く反発し、区の要請を拒否しました。
存続の会、世幼P連ともに共通の思い 意見交換会不参加
区立幼稚園の現場を本当に見ていただけたのか、障がい児の行き場は確保されているのか、区が継承するという区立幼稚園の保育は民間施設に馴染むものなのか、幼いうちだけでも長時間子どもに接することを大切にする育児スタイルを選びたい保護者はどこに行けばいいのか、あるいは、そうした選択肢は全くなくしてしまっていいのか、そもそも現在ある区立幼稚園の需要を断ち切ってまで新型施設を求める区民の声は一体どこにあるのか・・・。様々な疑問とともに保護者の心には、まだ議論は終わっていない、それどころか、まだ議論すらされていないのではないか、という共通の想いが存在していました。その結果、存続の会も意見交換会に欠席、また、同様に当時の世幼P連も意見交換会出席を見送ることとなり、この時点で存続の会、世幼P連ともに保護者の総意として、区側に「NO!」を突きつけたのでした。
世幼P連 意見交換会参加
しかし、平成17年度に入り、新しい役員会を発足させた世幼P連は「区側と対立してもよい結果は生まれない」とし、これまでの方針から一転、「意見交換会」に出席する方針を決定。その際、存続の会は意見交換会への参加、不参加は区に対する態度表明としてとても大きな意味をもつことになる為、さまざまな角度から熟慮し、慎重な判断を下してもらいたいという願いから、新年度世幼P連各委員、各園PTA会長宛てに、その判断材料として、昨年度、世幼P連、存続の会ともに不参加決定をした経緯や、それまで、保護者不在でおこなわれた意見交換会の主な意見のまとめ等の資料を届けました。なぜなら、世幼P連メンバーも1年ごとに全員が入れ替わる状況では多少の引継ぎはあるものの、継続して事態の経緯を追う事は難しいと感じたからです。
また、資料だけではわかりにくいこの問題を多数決で決めてしまう前に、この問題にずっと関わり、議事録を読み、その討論のやり方に大いに疑問をもっていた存続の会として、どうして区側と対立するに至ったか、これまでの経緯やこの問題の含む問題点について説明の機会が必要だと感じました。そこで世幼P連定例会に出向き、顔と顔をあわせて対話する機会を設けてくださるようにお願いしましたが、残念ながらその機会は与えられませんでした。
立場こそ違え、お互いに幼稚園のより良い姿を求め活動しているものとして、もっと意思疎通の場が設けられれば、両輪として協力しあえる部分もあったのではないかと感じます。都幼P連(東京都公立幼稚園PTA連絡協議会)の定例会には、PTA団体ではない存続活動団体も出席可能で、同じく廃園問題で悩む他区の存続活動団体の代表者が意見を述べ協力を仰ぐ姿が見られたのを考えると、存続の会としてお願いしてあった世幼P連との懇談等は、将来また別の園でこのような事態が生じた時に是非実現していただきたいと強く感じています。
私たちの提案 別の方法でこそ意見は伝えられる
私たちは意見交換会には不参加でした。しかし、だからといって、区に対し、区立園、さらには民間幼保施設について意見を届けることをやめたわけではありません。世幼P連が意見交換会参加を決定するにあたっては、いずれ新型施設が作られてしまうならば、少しでもそれを良くするようにはたらきかけ、自分たちの希望を取り入れてもらわなければという責任感が大きく働いたことと察します。区立幼稚園間の相互連絡のほかに、行政と保護者をつなぐパイプ役をになう世幼P連であれば、その決定に際して様々な考えの中で次善の策をとらざるを得なかったのだとも承知いたします。
しかし、私たちは意見を届けるという責任は別の形でも果たしうる、むしろ、意見交換会という制約つきの場で意見を述べるよりも区立幼稚園保護者としてもっと自然な方法をとるべきだと考えていました。意見は参考にする程度、廃園問題は議題に載せないとあらかじめ不合理な条件を課された意見交換会に座り、自分たちの本来の主張を述べることがかなわないのであれば、意見交換会以外の別の形で意見を届ければ良いと考えていました。
存続の会は昨年夏までに教育委員会と6回の懇談会を重ねてきました。その場においては何の制約も無く、区立幼稚園の存在意義や行政のやり方についての疑問、新型施設の進行状況について等、区の方々と意見交換をしてきました。また、「幼児教育に関する協議機関の早期設置を求める要望書」、あるいは教育委員会が提示した「世田谷区の幼児教育の現状と課題に関する質問書」といった形で、発足以来、計10回の要望書、質問書、申し入れ書の提出を重ね、教育委員会、行政へ働きかけ、意見を届け続けました。また質問書に関しては、満足のいくものではありませんでしたが、区からの回答の席も設けてもらいました。更に、新型施設については旭、羽根木幼稚園での新型施設のついての説明会に出席、その場で、新型施設構想案に盛られている内容について質問もいたしました。
意見交換会という廃園を前提とした土俵にのらなくとも、区立幼稚園について、幼保園への用途転換について自由に発言できるのではないかというのが、私たちのとったスタンスでした。
意見交換会参加が意味するもの
―今回の区のやり方を認めていいのか・残る9園のために―
私たちが恐れていたのは、廃園を前提とした意見交換会に安易に参加することで、この2園のみならず、この先、残る9園の方向性も決まってしまうということでした。
意見交換会参加、不参加は、今回の旭、羽根木幼稚園廃園に係る区の手続き-決定までは何の説明もまた保護者の意見を吸上げる何の機会も設けず、役所内で全てを決定、その後、お手紙一枚で用途転換を通達するという区の手続き-を認めるか否かということを意味していると考えていました。
今回、このやり方に異を唱えなければ、このやり方は将来また繰り返されるであろう。残る9園のためにも保護者としてできることは、意見交換会参加というかたちをとらず、それでもなお積極的に意見を届け続けるということでこそあったのはないでしょうか。
意見交換会のあり方を含め、検討する課題は残されていると考えます。
教育条件整備のための要望書
世幼P連には、区立幼稚園保護者の要望を区に届けるという大事な仕事があります。毎年秋には、「教育条件整備についての要望書」という形に世幼P連がとりまとめ、保護者の要望を世田谷区教育委員会に提出しています。例年、最重要トップ項目は区立幼稚園の存続と充実であり、世幼P連として、保護者の最大の要望事項を区教育委員会にアピールしてきました。廃園問題が起こった平成15年度には、要望書提出の会において、区立幼稚園の地域の中での役割、あえて先取り教育に走らず、幼児期に必要な保育をくりひろげている区立園の姿を述べ、区立園全園の存続を訴えました。次年度も、要望書の第一行目は「全園の区立幼稚園としての存続の再検討をお願いいたします」でした。そして、新型施設のための意見交換会に出席を決めた平成17年度、その一行目から全園という文字は消え、「区立幼稚園の存続」とタイトルされました。
いま現在区立11園の連絡協議会でありながらも、世幼P連が要望書を区に届けるにあたり様々な想いを抱きつつ、2園については積極的な存続の要望を外す判断をされたのでしょう。教育委員会に依存して活動する部分もある世幼P連という性質上、教育委員会や行政に背を向けて廃園反対を大きく唱えることは心情的にも難しいと言わざるを得ないかも知れません。と同時に、下馬幼稚園の廃園時に当時の委員の胸にわいた「1園が廃園にされそうになっている時に12園がいっせいに反対の声を挙げ、守るための運動をすることは世幼P連として当然の行動ではないでしょうか。」「世幼P連としての存在意義は一体どこにあるのだろうか」という疑問は、10年経った今もそのままにあり、将来的にも世幼P連が保護者の組織として、何が出来るのかというこの重い課題は残されたと言えるでしょう。
残る9園についての協議機関設置要望についての合意
昨年度、存続の会そして世幼P連ともに、協議機関の設置の必要性については合意していました。強引な行政のやり方をとめ、幼稚園の今後を良いものにするいちばん大切で民主的なプロセスだと確信し、目標としてきたものです。協議機関の設置の要求は、世幼P連とともに並んで行なうからこそ「保護者の総意」として大きな意味を持つものでした。
世幼P連提出の「残る9園についての協議機関設置」の要望書
昨年度、世幼P連定例会の席では、せめて廃園・用途転換する園として名指しされていない残り9園については、その今後を話し合う際の協議機関の設置を、世幼P連からも区に要望しようという議題が上り、定例会にて要望することに決定。その手順として、まずは要望書を教育委員会に提出し、その要望が受け入れられなかった場合、あらためて世幼P連として陳情書の提出を検討するということが定例会の中で決定されました。残る9園についての協議機関設置を求める昨年度の要望書に対する区の回答は何の進展もなく、このままの状況では協議機関設置は望めるものではありませんでした。
※陳情は要望とは異なり、議会に付託されることにより、議会での審議が約束され、意見や希望を直接区政に反映させるための手段として要望よりも大きな効力を持つものです。
協議機関設置についての申し送り
しかし、その回答を前に、現世幼P連では昨年度議題となった陳情書での再要望を検討する機会はもたれませんでした。1年単位で委員全員が入れ替わり、存続に関する大きな山場で忙しかった16年度の事柄も全てが引き継がれ、申し送られるということは困難だったのだと想像します。今年度、世幼P連委員のほとんどの方が「9園の今後を話しあうための協議機関設置」の要望書に関してご存じない事実を知り、存続の会から、その経緯をお伝えし前年度からの申し送りを見直し、世幼P連としての継続性を保ってくださるようお願いいたしました。
残念ながら協議機関の陳情の再検討は議題にもならなかったと聞きますが、大きな組織であるからこそ抱える問題として、継続性の維持や方針の変更にさいしての手続きが課題として残されたと考えます。
存続の会の主張
存続の会は幼保施設を否定している訳でもなく、また保育園需要を否定している訳でもありません。まだまだそのヴィジョンが確立していない日本の幼児教育を模索する上で、どういったものがふさわしいか、何を大切にすればその後の子どもの育ちが期待できるのか、また、今現在教育委員会が直接的に指導できる、数少ない就学前教育の場である区立幼稚園の今後を考えるのであれば、まずは区立幼稚園を廃園する前に、区立での運営や、今の保育の継承を含め、多くの人の議論の中から守るべきもの変えるべきものをあらいだし、新しい道を探し出すのが民主的ではないかと主張しているのです。今後残る9園についても、同じようなやり方で、行政からの突然の用途転換通告で、地域の中から区立園の選択肢が消えていけば、これを元にもどすことは不可能です。今、区立幼稚園11園として意思表示ができるこの最後の時期を、行政や議会に向け区立幼稚園保護者の意思を伝えるべきではないかと考えていました。
意見集約のむずかしさ
下馬幼稚園廃園問題のおこった平成8年度そして、熊本区長の全園廃園発言に端を発した今回の存続問題の渦中の平成15年度と、世幼P連は過去2回、各園の全保護者を対象にしたアンケートをとりました。平成8年度は「見直してみよう、区立幼稚園の良さ」という研修会のテーマに先立ってのアンケートでした。平成15年度は、「区立幼稚園のあり方について」とタイトルされたアンケートでしたが、94%の保護者が区立園に満足しているということを含め、満足の要因、保護者の望む幼児施設について、情報提供のあり方について等の保護者の意識を区に届けることが出来ました。結果を集計しまとめて資料にするという膨大な作業を経て、平成8年度は教育委員会に提出。また15年度は区議会、教育委員会に提出のほかP連の広報誌「世幼P連だより」の特集として掲載。ともに、区立幼稚園の良さを紹介する機会となりました。
今年度、世幼P連では昨年10月の定例会において、区教育委員会幼稚園担当者から幼稚園と保育園の機能を一体化した「新しい形の総合施設」構想案の資料が提示され、簡単な説明を受けました。この構想案についてのアンケートとして世幼P連委員の個人的な感想文を集めるという指示が、世幼P連会長の発案で出されました。アンケート収集までわずか1週間足らずの期限で構想案についての自由筆記という課題を各園世幼P連委員は持ち帰ったのです。
後日この新総合施設構想案についてのアンケート(感想文)は世幼P連より、教育委員会事務局、幼稚園担当に提出されました。このアンケート提出をP連委員全員が知ったのはその提出後のことで、事前に世幼P連委員全員の合意を受けたわけでも、委員全員がそのアンケートの使い道を知っていたわけでもありませんでした。後で、自ら書いた感想文がアンケート結果として区教育委員会に提出されたことを知り、ことの重大さに気がついた方もいらっしゃったそうです。区へ提出した書類には、個人意見として新型施設への賛否両論が箇条書きされていましたが、果たして区立幼稚園保護者の正規団体としての意見集約としてふさわしかったのか、ということには疑問が残ります。一部の世幼P連委員から、世幼P連会長に抗議がありました。しかし定例会の席での謝罪のみで、区に提出された感想文が回収されることはありませんでした。
この際、存続の会は、各世幼P委員が構想案についての感想文を書くという情報を得、アンケートや感想文の収集といった意見集約、また、その持ち出しに関しては慎重にお願いしたいと、世幼P連会長はじめ連絡の取れる世幼P連委員にお伝えしました。なぜなら、世幼P連委員すらアンケートの使用目的や利用方法も明確に知らされなったという手続きに対する疑問とともに、どのような形であれ、もしそれが教育委員会に提出されるようなことがあれば、おのずとそのアンケートに記された意見が、行政や議会の中で区立幼稚園保護者の意見集約といった重要な意味合いを帯びてしまうことを危惧したからです。そして、何よりそれまで、幼保施設について知識や情報が少ない委員の方々であるなら、わずか数日で初見の資料を的確に読み解くことはとてもむずかしいと私たちの経験をもとに考えたからです。
私たちも行政、議会との対応に並んで、時々の事態をみなさまにお知らせし、在園の保護者のみなさまの力で何とか世幼P連と存続の会の連携を保ちたいとは願っていましたが、世幼P連委員や各園会長宛てにお手紙や資料を作成しお届けするのに追われ、広くみなさまにわかりやすい十分な情報提供をするには力及ばなかった昨年上半期だったと感じています。
世幼Pと存続の会は同じく区立幼稚園を愛する保護者同士だと思います。それゆえ存続の会としてさまざまな形で協力と再考を世幼P連にお願いし続けてはきましたが、真意を理解していただくのに必要な対話の場を得ることが出来ず、残念ながら世幼P連のになう保護者の総意は私たちの会と同調するものとはなりませんでした。
今年度の世幼P連の方がたと意思疎通が出来ていたならば、お互いの信頼関係のもとにアンケートや意見収集についての私たちの危惧をご理解いただけたかもしれません。同じ保護者でありながら、別組織として活動することの抱える問題は私たち皆が解いていかなければならないことだと思います。
様々な疑問
「区立幼稚園は世田谷区民の財産だ。 次代の子ども達、親達のためにもぜひ残したい」
ただその思いで始めたこの運動は、市民運動などそれまで経験したことのない『普通のお母さん、お父さん』達によるものでした。
初めて議員折衝をし、初めて陳情書をつくり、初めて議員や教育委員の前で趣旨説明をし、初めて講演会を企画し…膨大なメールをやり取りし、度重なる会合で意見を述べ合いながら、全て初めての出来事にメンバーみな、力を合わせて一生懸命あたりました。その結果、区長の公約撤廃、区長対話、講演会、廃園にあたっての在園児卒園までの保育の保証、意見交換会議事録開示など、いくつかの成果を得ることはできました。しかし、こうした活動を通して『素人』の私たちに見えてきたことは、世田谷区の行政のあり方、議員の方々の姿勢に対する様々な疑問でした。
区議会、行政とのやり取りのなかで
区立幼稚園についてのアピール
おもえば、設立当初、初めて区議会を訪れ、存続を訴えた際、大会派との懇談会の席で「君達、区立幼稚園、区立幼稚園って錦の御旗みたいに言われたって困るんだよ。区立幼稚園っていったって、安いから行ってるんでしょ」と言われ、区立幼稚園を選択した保護者は安いから行っているという一くくりのうちに捉えられているのだと愕然としましたが、それ以上に、廃園を推進している政党の議員の方々自身が、その廃園しようとしている区立幼稚園の中身について何もご存じないということに驚きました。と同時に、それならば、安いということのみが区立園選択の理由ではないし、満足の要因ではないことをお伝えし、区立幼稚園の保育の質、存在意義をお伝えできれば、区立幼稚園を廃園しようとはならないだろう、という目的意識を抱きました。また同様に、各政党の区議の方々も区立幼稚園について深くご存知ないことが折衝を通じわかり、存続の会の各園有志手作りで、各園の保育内容、地域コミュニティーとしての活動、ノーマライゼーションの実施の様子などを様々ファイルし、最初の陳情書提出の折に、教育委員会、各会派区議会議員の方々にお届けしました。そして、区立幼稚園の意義を見直していただきたいと再三アピールしました。しかし、そのファイルは果たしてゆっくりとめくられたのでしょうか。そして、実際に区立幼稚園の保育のありようをわが目で見ていただけたのでしょうか。
協議機関という民主的な考え方
そもそも、何故、区民の財産である区立幼稚園の今後のあり方を、区教育委員会の方々だけではなく、当事者である私達区民も交えて、みなで話し合って決めたいという単純で民主主義の基本ともいえる考え方が拒否されるのでしょうか。
暗黙の了解は許されない
素人だった私たちは、何をするにも手探り、区議会事務局に何度も何度も足を運び確認を重ね、それでも、区議会のルールにのっとり、陳情をあげ、署名を集め、趣旨説明をし、と教えられた正攻法で進んできました。
しかし、ある議員は保健福祉委員会の席でこう言われました。
「区立幼稚園の廃園は暗黙の了解で決まった。」
民主主義を貫くべき区議会の場で、このような重大事項が暗黙の了解で決定される。それは区議会の当たり前のプロセスだったのでしょうか。
またある議員の方の言うように、「政治とはこういうもの。君達まだやっているの」ということなのでしょうか。
あるいは、区民の区政への直接参加の道は陳情、請願等で保証されていると区議会のしおりには書いてはあるものの、実際はある議員の言葉のように「政治は政治のプロに任せなさい」ということなのでしょうか。
区立園存続の選択肢が消えた議事録開示に応じず
公式文書として、平成16年3月時点で区教育委員会のまとめた報告書『世田谷区の幼稚園における現状と今後のあり方』では、区立幼稚園のあり方について全園存続という選択肢が確かに明記されていました。
しかし、4ヵ月後、同年7月の文教委員会において突然、旭・羽根木区立幼稚園の廃園方針が発表されました。この時、存続の会は全園存続の選択肢が消え、2園の廃園が決定されるに至る議論の過程を知りたくて、その決定をした庁内の「区立幼稚園のあり方検討委員会」の議事録を開示するよう求めましたが、『そのようなものはない』という回答でした。この間の議論、途中経過は議会のそして行政の暗黙の了解の中に封印されてしまったのでしょうか。
区政にたいする失望と不信
更に、同年9月。 議員折衝の際、『ただやみくもに廃園反対を訴えている訳ではない。廃園にするか否かを現場の先生方、保護者、有識者、あらゆる関係者を含め、私立幼稚園、保育園、区立幼稚園などそれぞれの果たす役割、存在意義について議論し世田谷区にみあった幼児教育とはどのようなものか慎重に決める場を作って欲しい』という私達、存続の会の訴えに対し、議員の方々は、『気持ちはわかるけど、無理なのよ、もっと早く言ってくれれば何とかなったのに・・・』と言葉を濁しました。存続の会は、設立趣意書にもあるように、平成15年の8月、その設立の当初から、協議機関さえ作ってくれればとの思いを、ずっと訴えてきています。
この経過の中で、一体、いつなら「遅くない。間に合う」と言ってもらえたのか…。こうした場面に出会うたび、多くの保護者が世田谷区政に強い不信感をいだきました。
3度目の陳情提出決意
このような、不信と失望を抱きつつも、私たちは、昨年夏の時点で再度の陳情をあげようとしていました。結果的には陳情は後で述べる理由で断念しましたが、そこにいたる経緯をおつたえします。
意見交換会は機能していない その事実を伝えたい
私たちの中で、陳情があげられると判断した理由は、存続の会が主張してきた「意見交換会の不備」を裏付ける具体的な事実を知り、この事実をもってすれば、協議機関の設置の必要性を理解してもらえる、その事実をもって区議会議員にあたれば、私たちの活動や協議機関設置の陳情趣旨に再度理解いただき、行政に働きかけていただけると確信したからです。
「意見交換会」とは、協議機関を作らない区が、その替りにと持ち出したセレモニーとしての会です。当初議事録の作成も予定されていませんでした。(議事録作成は存続の会の要求によるものです)しかし、「意見交換会」は名ばかりの会と主張しても、建前はあくまで、≪有識者、関係者の意見を構想案に反映する目的≫の会です。
昨年の夏時点、意見交換会の議事録は1回目のものしかできておらず、再三の催促にも関わらず、半年以上の時間をかけて2回目の議事録を作成中、その間、新型施設への準備は着々と進められている事態に、一体、議事録なしにどのようにして意見交換会の内容を庁内での構想案に反映できるのかという疑問が湧き教育委員会幼稚園担当係長に「議事録の作成も大幅に遅れているのであれば、いったい意見交換会の意見は庁内のあり方検討会にどのように報告されているのですか」と質問をしました。
意見交換会の議事録は厚くて見ない
その答えは「議事録は厚くて見ませんから、主な意見のまとめを回覧するのです」というものでした。あまりに不誠実、いい加減な返答、行政の姿勢に驚きと怒り、失望の念を抱かざるを得ませんでした。行政は意見交換会の意見を着実に構想案に反映するのに必須で基本的なシステムすら持っていなかったのです。議事録は厚くて見ないのであれば、一体どのように意見を反映、問題点として議題に上げ検討するのでしょうか。≪意見の反映という建前≫すらも棚上げにして、それを恥じることなくことを進めている。
この事実を持って私たちは再度、このようなまやかしの会ではなく、区長への答申が約束され、確実な意見反映の場である協議機関の設置を主な趣旨として再度の陳情をあげようと決意しました。
3度目の陳情書提出断念に至る経緯
世幼P連への協力依頼
陳情案を作成する傍ら、至急、各園会長、世幼P連委員宛てにお手紙を差し上げ、意見交換会の意見が庁内のあり方検討会にどのように反映されているか、あるいは、いないかについて、また意見交換会の主な意見の内容について資料を同封し、総合施設開設を前提とした箱物論以前にサービスの充実に先行する子育ての時間の確保、子育てスタイルの見直し、親育ちの場である公立幼稚園の意義の検証といった根本的な議題があることが有識者の中から指摘されていることを、お知らせしました。
全会派議員折衝
また、3度目の陳情に向け、夏から秋にかけ、区議会の全会派との議員折衝にあたりました。陳情案としては以下の2本立てを考え、その中で特に強調したのは、意見の反映の場として設けられた意見交換会がその機能をはたしていないということでした。
折衝に使った陳情案抜粋
①残る 9園の今後を考える上での協議機関の設置についての陳情
区立砧、給田、桜丘、多聞,塚戸、中町、八幡山、松丘、三島幼稚園の既存のあり方
について、変更、見直し等をする状況に至った場合、その検討にあたって協議会の設置を求めます。
②旭・羽根木幼稚園についての陳情
2園廃園後の、「新しい形の総合施設」構想案検討のための意見交換会のあり方を、有識者、区民の意見が反映できるように見直し、実情にあった形に変更することを求めます。また、意見交換会での議論が一定の方向をもって進んでいない現状と国の補助制度も未定の状態では、19年度早い時期の開設も困難であり、幼稚園待機児をつくらないためにも、計画を一時凍結し、慎重に議論する時間を確保することを求めます。
議員折衝の結果
議員折衝の結果、一部会派の議員の方々からは理解、賛同を頂き、励ましや、ご協力を得ることができましたが、陳情の採択の決定に関わる大きな会派の区議の方々には、保護者、関係者としての素朴な疑問「議事録を読まずして、一体どうやって意見交換会の意見をあり方委員会に反映することができるのか。また、意見を反映する予定が無いのなら、意見交換会は無意味ではないか」といった単純な疑問を共有していただくことはできませんでした。
意見交換会の議事録は厚くて見ないという行政関係者の言葉をお伝えし、その言葉にどれほど保護者が驚きと失望を感じたかということをお知らせしても、私たちの気持ちを吸上げ、陳情審議の場で後ろ盾になると言っていただける大会派はありませんでした。
確かに、不採択があらかじめわかっていたとしても、陳情をあげ、その場で、自分たちの主張を述べることも自由です。党の立場として採択はできないが、存続の会としての主張を述べるという意味で陳情自体は否定しないという助言も頂きました。
陳情の断念
存続の会としては、世幼P連のバックアップがない状況で、今回の陳情を骨抜きにして採択を願う陳情に変更するか、存続の会としての主張を貫く陳情のまま提出するか、あるいは陳情の取りやめかといった選択肢の中で悩みましたが、世幼P連が保護者の代表として、区の方針に疑問や不信感をあらわにせず、行政との新たな道を歩み始めた以上、会として、陳情提出ならびにこれ以上の活動は断念せざるを得ないと結論しました。
区立幼稚園へのこだわり
もちろん区立幼稚園に対する思いは変わらず、小学校での子どもの育ちを考えればますます大切に思うばかりです。私たちが、なぜこれほど区立幼稚園にこだわったか、それは幼稚園という2年間以上に、その後、小学校、中学校へと続く子どもの育ちの根っこの部分としていちばん大切なものが区立幼稚園の中に詰まっていると感じたからでした。
他方、区や行政が区立幼稚園を見る視点は、財政改革であったり、就労支援であったり、または公約の具体的な実現、あるいは、国の動向にマッチした新味を帯びた施設開設としてのターゲットとしてであり、最初から、平行線であったといえるでしょう。私たちにとって旭、羽根木という区の貴重な財産が民間の幼保施設となっていくのを止めることができなかったことは、本当に辛く残念ですし、残り9園の行く末も、大会派の議員の方々から「2園にとどまらず、区立全園を総合施設に」という議場での発言もある中、そのいく末に不安を感じます。
区民の力
平成15年9月、区議会定例会、区議会傍聴席が満席となったのは、世田谷区議会始まって以来はじめてのことだったと聞きます。たくさんの区立幼稚園保護者が小さい子どもをつれてまでして、傍聴席に駆けつけました。区長の「区立幼稚園を廃止し、その浮いた財源で公立小中学校にエアコン設置」という目標に多くの保護者が異を唱えたのです。そしてその反対の声を区議会傍聴という形で区、そして区議会に示したのです。結果、区長の公約は撤回されました。みなさんの団結、みなさんの意思表示、みなさんの声は、行政にとっても、議会にとっても大きな抑止の力となるのです。
子ども達が伸びやかに遊ぶ幼稚園の日常は一見すると、行政、議会、教育委員会とは無関係な領域だというような錯覚に陥ります。しかし、私たちの普段の意識の中にそのことが思い浮かぶかどうかとは関係なく、いやおうなく子育て環境、そして幼稚園といった子どもの育ちの環境は政治のおもわくに絡んでそのあり方を左右されていきます。
子どもの環境を守るという大人の責任を果たすためにも、私たち大人が意識的に子どもの回りでおこっている色々なことを学び、話し合いを重ねていることがとても必要だと感じます。
区の不透明な行政を変え、保護者本位の区政を実現できるのは、世田谷区長でもなければ教育委員長でもありません。それは、私たち一人一人の世田谷区民です。区民が「おかしな区政」をチェックし、言うべきことを行政に伝え、そして来るべき区議会選挙、区長選挙で「未来の子どもたちへの一票」を投ずることで世田谷区にふさわしい幼稚園行政を取り戻しましょう。
おわりに
存続の会としての活動は閉会とともに終わってしまいますが、個々のメンバーの問題意識は変わらず、行政のゆくえを注視していきたいと思っています。草の根運動として、区立幼稚園各園内に有志の会が残る園もあります。OGとなったメンバーも忘れることなく区立幼稚園を見守っていきます。振り返ってみれば、存続の会立ち上げに際し、当時の世幼P連役員にいち早く事態の重大さを告げ、裏方として助言や助けの手を差し伸べ、会の発足を誘導してくださったのは当時もう卒園されOGだった元世幼P連会長だったことも思い出されます。在園、卒園に関わらずメンバー一同、残る9園が区立園として存続、更に充実し、就学前教育のモデルとして素晴らしい幼児教育を発信していって欲しいと願ってやみません。
最後に、長い間、ご協力ご理解いただきましたみなさんにお礼申し上げます。ありがとうございました。また、事実を伝えるうえで失礼な箇所もあったかとおもいます、お詫び申し上げます。
HPの取り扱いについて
「区立幼稚園の存続を願う父母の会」では、パソコンからでも携帯電話からでもアクセスできるホームページを開設しています。
ホームページは、今後残り9園が廃園、用途転換を具体的にせまられ、保護者による存続運動を起こそうというときの足がかりになるかと考え、このまま継続維持いたします。ただし、最新記事のアップはいたしません。
また、公立幼稚園の廃園問題は世田谷区にとどまりません。存続の会のホームページには同様の問題を抱える全国各地からの問い合わせがあります。そういった方々の参考になれば幸いです。
掲示板は区立幼稚園関係の情報交換の場として利用していただきたいと考えています。
存続の会通信 最終号 閉会のご挨拶、そして、私たちの活動の軌跡
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管理人の都合で公開作業がされてなかった通信もアップいたします。
遅くなりすみませんでした。どうぞ、ご覧ください。
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